29.dec.2013
SUGIZO
@SHIBUYA AX
今更ですが、昨年末のSUGIZOさんソロライヴ。
アンコールRest in peace~前にお話されたことについてと己の心が、
漸く纏まったので。
メモ書き程度の独り言ですが。
◆
と言ってもだいぶ記憶が曖昧なので、以下、
全然違うこと書いているかも知れませんが、
LUNA SEAのアルバム『A WILL』について、
このアルバム完成の少し前に旧友が亡くなったそうで、
その彼の事があったからこそ、出来たアルバムであるし、
また、
「人の死」について改めて考え直す機会でもあった、
という様な事をお話なさっていました。
題材が題材だったので、少々しんみりしてしまったのですが、
私にとっては、やっと?前向きになってくれたのだなーという感想。
今迄の勝手な印象ですが、
以前はSUGIちゃん、こういう話になると、かなりネガティヴな方向へいってしまいがちで、
その度に、正直、苛々辟易していた思い出があったので(汗)。
何故そんなめそめそと、女々しい、と思ってしまっていたのですね、私も大きな人間ではないので。
いつ、何が起きるのか起こるのか分からないから、
その一時一時精一杯生きてゆく事が、先に亡くなった方々への礼でもある、
とか。
私自身の中では、当たり前である事であったせいもあり。
ああ、良かったなあ、と。
何故だか、安堵感を覚え。
至極前向きと捉えられたし、
SUGIZO氏本来の強靭さを感じた。
凄くやさしい人になったなあ。
内容が内容なので表現が難しく、誤解を招く様な事を今書いてしまっているかも知れないけれど、
そもそも記憶自体に自信がないのだが、
要は「別れは悲しい事ではない」という様なことが言いたかったのではないかな、と思っている。
私自身、別れを悲しみ涙する、は、
親しい人を亡くした己自身を哀れむ余裕があるからだと、
一種の自己陶酔に見えてならないので。
というより、
幼少時に親親戚からその様に突っぱねられたので、
そういうものなのだといつしか思うようになっていた。
ほんとうに悲しい時は、そんな余裕などなく、
「行動」「前進」という選択だけで精一杯。
原因が理不尽な事故や殺人、テロに巻き込まれたなどであった場合、
悲しみどころか怒りを抑えるだけで精一杯。
それに、後悔をしたくないのなら、
お互い生きているうちに、触れあうことができる間に、
存分に誠意を尽くして接してゆけばいい。
伝わる人には、伝わる。
同じように、まごころで応えてくれる。
我々には、与えられた時間も出来ることも
限られているので。
だから、
出来る限りの事をしましょう。
解釈にはかなり主観が入っておりますが、
そういった様な事を、
SUGIZO氏の口から聞くことが出来。
楽しかったし、大いにアツくなれたライヴだったけれど、
そんな訳で帰り道は何だか清々しい気持ち。
◆
自分自身年を経て、
親しい人が居なくなってしまう事が、日々益々多くなってしまったけれど、
それでも繋がっている人が居てくれる事も真実であるし、
同じ楽しみや思想を分かち合っていられることへの感謝。
これから生まれてくる新しい命とも、
繋がってゆけたらしあわせ。
そんなことを思った昨年末でした。