昨日、茨城県小美玉市の茨城空港の入口傍にある百里原海軍航空隊の正門を見てきました。

茨城空港へ向かう途中に海軍道路と交わる交差点があり、その東側に旧海軍百里原航空隊の旧正門があります。

百里原海軍航空隊隊の旧正門

 

筑波海軍航空隊の分遣隊から独立

百里原海軍航空隊は、1939(昭和14)年12月、筑波海軍航空隊百里原分遣隊から独立して開隊、陸上機操縦教育を担当した。1943(昭和18)年の秋には実用機の操縦と偵察員の教育に移行した。

1945(昭和20)年2月に艦載機グラマンの攻撃を受け、隊舎が炎上、この基地で最初の戦死者が出た。3月になると、海軍は練習連合航空隊を解散し、もう既に航空機と燃料が不足し、唯一行われたのは特攻訓練のみであった。百里原航空隊は3月末から沖縄での特攻作戦に参加した。

 

戦後は航空自衛隊百里基地、茨城空港に

戦後、1955(昭和30)年に地元で自衛隊基地誘致運動が開始された。1958(昭和33)年に百里分屯基地が置かれ、1966(昭和41)年に現在の百里基地が設置された。

航空隊の旧正門は、大谷石と鉄筋コンクリート製扉からなり、門柱は93×93センチ、高さ225センチである。

 

大谷石の門柱

 

また、門の裏手には、「真心國柱」と記してある碑があり、1977(昭和52)年に建立されている。

 

「真心國柱」の碑

 

門の東側には、かつて基地内にあった百里神社があり、基地の周辺には航空機を収容する掩体壕も残っていた。

だが、2010(平成22)年に民間と共用の茨城空港が開港し、その建設工事により掩体壕をはじめとする戦争遺跡は消失しているものもある。

 

百里神社。鳥居も新しいのが設置され、広場も整備されている。

 

百里神社の祠

 

百里神社の石碑

 

門柱の鉄筋コンクリート製扉

 

現役の百里基地。民間の茨城空港と共用している。

 

百里基地は毎年12月頃に航空祭があるので、その時には雄飛園の保存されている用廃機や百里原海軍航空隊の記念碑を見学することができます。