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きらきらな日々を

明日、心の空が晴れますように

またまたお久し振りです。

母のリハビリが今日で終了しました。


前回、そろそろ終わりにしましょうか?という打診も整形外科の主治医からあり、母はもう少し続けたかったのですが、私が介護することに限界を感じていて、色々あって、やめることになりました。


最後だったので、リハの先生に、私からもお礼の挨拶をしたかったのですが、私が急遽、整形外科で診察してもらうことになり、顔を出せずじまいでした。

終わりよければ全てよし、というので、少し残念です。


私は、腰痛、足の痛み、足のしびれで診てもらいました。

レントゲンの結果、5月にMRIを撮ることになりました。


今年の1月22日に母の異変を聞き、実家に駆けつけました。

それから実家暮らししながら、家事を担当し、母の診察に付き添いました。

2月2日に総合病院の整形外科で診てもらい、内科に回されて、そのまま入院となりました。


実家では父の食事と洗濯を担当し、母の洗濯物を病棟へ行って受け渡しして、3週間あまりを過ごして、退院。


それからは、母が食べられるものを料理しながら、看護と介護。

ここが(メニュー決め)いちばん大変だったかもです。

父と二人のときは、好きなものを作って食べられたけど、消化のいい食材って、頭では想像出来ても、あれはダメ、これもダメと、作ったことのない料理にもたくさん挑戦しました。


そして、母のリハビリや診察の送迎と付き添い。

父の通院の送迎と付き添い。


でも、母は頑張りました。

本当に頑張りました。

麻痺していた足が、動くようになりつつあるし、感覚も戻ってきたとのことです。

(しびれと軽い麻痺は残っていますが)


だから、私も、頑張らなくてはと常に思いました。

だけど、私は、3か月あまりの介護で、心身共に疲れました。

Hさんにも一人暮らしを押し付け、負担をかけてしまいました。


なので、いったん、母の介護を終了することにしました。

正確には、実家を出て、自宅に戻ることにしました。

今まで通り、Hさんと暮らしながら、週に一回、一泊二日で実家に帰り、買い物、通院の送迎などを手伝います。

(母は今は自転車も乗れないし、たくさん歩けないので)


それで様子を見て、うまくいかなければ、また考えます。


長い長い3か月でした。


でも、見守ってくれた皆に、感謝です。

大したことが出来なくて、お母さん、お父さん、ごめんなさい。

放置したまま、ろくに帰ることも出来なくて、Hさん、ごめんなさい。


そして早く、私も心身の健康を取り戻します。

お久し振りです。

私の体調がすぐれないまま、一か月ブログを更新出来ずにいました。


昨日、母の大腸内視鏡検査でした。

母の足のリハビリは毎週一回、時折、整形外科と外科の診察、そして両親の内科、父の神経内科と泌尿器科の診察。


そして私の精神科と内科。


時には一週間、毎日どこかの通院で、走り回ることもあります。

今週は忙しかったです。


話は戻って、母の大腸の検査。

食事を3日前から調整し、前日は特別食だけを食べ、前日夜、錠剤の下剤を飲み、当日は朝から2リットルの液体下剤を時間をかけて飲み、お昼頃、病院へ。

午後から内視鏡検査開始です。


結果は、がんなどは無く、びらんと大腸憩室が全体的にあったとのことでした。


母は元々憩室を持っていますが、今回の大量の出血は、憩室からの出血ということでした。

足が痛くて非ステロイド性鎮痛剤をしばらく飲んでいたので、それが憩室炎を再発させたのではと。

今後は別のタイプの鎮痛剤を飲んでくださいと言われました。


今は神経痛に効くタイプの鎮痛剤を飲んでいるので、大丈夫だそうです。


大きな検査はこれで取り敢えず終わったので、母も私も少しホッと出来ました。

安心しました。


お母さん、これから少しずつ、いろんな食材を食べれるようになるといいね。

お疲れさま、頑張ったね。

お久し振りです。


母が退院しました。

3週間と少しの間、病院に大変お世話になりました。

腰椎椎間板ヘルニアと、大腸憩室出血でした。

左足には麻痺が残っています。

貧血になり、治療中です。

週に一度、足のリハビリに通っています。

そして日々、消化のよい食事を心がけています。


私は母が寝込んだ時から実家に帰っています。

Hさんのいる自宅には、ほとんど戻れていません。

一か月半以上になります。

入院前は母の通院の付添いと家事、入院中は父の通院の付添いと家事、退院後は看護と介護と家事をしていました。


結果、私は疲れてしまいました。

頓服を飲んで何とか頑張ってきたのですが、肉体的にも精神的にも限界がきました。

精神科にも駆け込みました。


両親、Hさん、私の4人で話し合いをしました。

私が平日は実家、土日は自宅に戻ることになりました。


しかし、それは一度きりで、うまくいきませんでした。

私が体調を大幅に崩してしまい、実家と自宅を車で行き来することが困難になってしまったのです。


また話し合いをして、私はしばらく実家で母の出来ないことを手伝いながら、静養することになりました。


今までは、両親は私に全てを丸投げ状態でした。

休みなく家事をこなしながら、看護と介護でした。

そこで、それぞれ、出来ることはやろうということになったのです。


父は食器洗い、ゴミ作り。

母は料理。

私は車での買い物、両親の通院の送迎と付添い。

洗濯や掃除は母と交代制。


勿論、特に母は病み上がりなので、出来ない部分は手伝います。

Hさんにはしばらく一人暮らしをお願いしました。

そして、Hさんが週に一度、実家の近くまで、私に会いに来てくれることになりました。


しばらくはHさんと一緒には暮らせないけど、一時的なことなので、離れていても頑張ろうと思います。

私が元気になれば、また車で実家と自宅を行き来出来ます。

それまでの辛抱です。


日々、少しずつ、季節はめぐります。

母の症状が徐々に快方に向かっているように、私も早く元気にならなくては、と思いました。

きらきらなアイテム


HさんがアマゾンのKindleの電子書籍を出版しました。


そうだったのかJR北海道!(私論レポート)です。



JR北海道をこよなく愛するHさんが、彼の目線で書き上げた一冊です。


わかりやすく読める本です。


鉄道好きの方は、ぜひどうぞ。

きらきらなアイテム


足の痛み、しびれ、発熱、食欲不振などの症状で寝込んでいた母は、かかりつけの内科、皮膚科、産婦人科、整形外科を回り、コロナでもインフルエンザでも帯状疱疹でも関節が悪い訳でもなく、総合病院の整形外科で内科受診を勧められ、そのまま検査を兼ねた入院となりました。


私はもう半月以上、実家にいます。

Hさんのいる自宅には、たまに日帰りで帰っています。


母のことは病院にいるので少しは安心なのですが、父がほとんど家のことを出来ない為、食事、洗濯、掃除を担当しています。


父は皿洗いは出来ます。

私の手が赤切れで痛むので、洗い物は父がしてくれます。

料理の時、最低限の洗い物は私がしますが…


ただ、入院のタイミングで、車が故障しました。

冷却水の漏れで水温警告灯が点滅し、水蒸気がボンネットから出ました。

車はJAFにレッカーしてもらい、修理に。


代車を借りたのですが、大き過ぎて、家の駐車場にやっとこさ入れたら、今度は出せなくなりました。

それで代車を引き取りに来てもらい、車の無い生活が数日間続きました。


母の病院へ書類や荷物を届けることが非常に大変でした。

バスだとたくさん持ち込めないので、車のありがたさが身に沁みました。


バタバタしている中、昨日は4時起きで実家の家事をして、父の食事を用意しておき、6時過ぎのバスを乗り継いで自宅に戻り、家事をして、Hさんと一緒に昼ご飯を食べて、実家に戻り、父の夕食を準備したりとか、ハードな日々を送っていました。


車が直って戻ってきて、母の洗濯物の受け渡し等がスムーズに出来るようになりました。

買い物も楽々です。


しかし、思うように自宅へ戻れないほど、実家での仕事も山積みです。

明日以降、病院から連絡が来る予定です。

母の病状についてです。


どうしても、Hさんに負担がかかってしまう…

中々帰れず、一緒にいられないし、温かいご飯も作ってあげられない。

掃除も洗濯も任せきり…

(Hさんは家事が出来ますが)

Hさんの通院の車での送迎も中々出来ず…

ごめんね。


明日は銀行の用事と、母の頼まれものを買いに行き、届けに行きます。


なんてバタバタな日々なんだろう。

健康について、日常の普通のことのありがたみについて、考えさせられる日々です。


お母さん、早く退院出来るといいね。

お父さん、私の料理は美味しい?

たくさん食べて、お父さんまで倒れないように気をつけてね。

Hさん、早く帰れるように頑張るからね。


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