写真家としての道 | きらきらな日々を

きらきらな日々を

明日、心の空が晴れますように

今、Hさんは、自分の未来について、いや、人生について、真剣に考えている最中です。

だから、そっとしておいてあげなくては。


私との未来を、ちゃんと考えてくれているのだろうから。


もし、私が、彼の未来にいなかったとして。

それは、彼の人生なのだから、仕方が無いのです。


私が「来るもの拒まず、去るもの追わず」と呼ばれるのは、この辺りにあるようですが。


私はちゃんと後を追いかけているよ。

ただ、足が遅くって、去ってゆく人たちに間に合わなかっただけです。


そんなことよりも。


私は昨日、彼に、「ずっと側にいたい、離れたくない」と言ってしまいました。

勿論本心で、迷いはありません。


だから、彼も、悩んでいるのだと。

真剣に考えてくれているのだと。


私達が、ずっと一緒にいられる方法を。


私は、彼が彼らしく生きられる方法を、必死に探しました。

それを元に、彼は、自分でも考えてみた結果。


今まで目を背けてきた「写真家」としての道を、見つめなおしている様です。


私は、ずっと昔、彼が私に片思いしているなんて微塵も感じずにいた頃。

スライド写真(主に鉄道写真)をたくさんたくさん見せてもらったのです。


一発で惚れましたね。

彼の写真のセンスに、です。


凛として、息を潜めていて。

繊細で、どこか哀しくて、でも、被写体に対する愛が溢れていて、真剣で。


写真はその人の心が表れていると私は思うので。

彼の繊細な、でも、無限大の愛を表現した写真達が、本当に素晴らしくて大好きでした。


もう一度、カメラを構えてくれるようになったらなぁ。

気軽に、コンパクトデジカメでいいから、写真を撮ってくれるようになったらいいなぁと。


真剣に思っていたのですが。


やっと、彼も、重い腰をあげてくれる気になってきたかもしれません。


明日になったら、Hさんの中で、考えは変わっているかもしれません。

でも、それでも「今日」が私達にとって有益な日だったと認識できればいいのです。


ちゃんと前に進まなければ。


私だってそうなんだ。

私には一体、何が出来る?

この社会に、何の才能で貢献できる?


私は、どれも中途半端に生きてきたから。

特技は?と聞かれて、言えるものがないのが本音です。


社会に取り残されてしまった感じです。

病気が原因なのでしょうが、病気だけのせいにしたくはないのです。


姉が生前、大学院で古典を追及していたように。

私には何の才能がある?


携帯も、手芸(ビーズ、編み物、縫い物)も、料理も、ボウリングも、音楽(バイオリン、オカリナ)も、写真も、絵も、看護も、大学も、皆、中途半端。

パソコンも、ネットもです。


逆に言ったら、中途半端になら、ある程度は柔軟に対応できますよ、ってことかなぁ。


病気のことだって中途半端だ。

自分の病気について、ありとあらゆる治療は受けたけれど、根付いたものもあるけど、最先端の治療法は知らないし(患者としてですが)。


本当は、皆に置いていかれるのが怖くって、人と交われないんだ。

勿論傷付きやすいのは事実だけど、私には、人生の目標が見えずにいます。

見ていて、先を行く友人達に追いつけないから、怖いんだ。

だから、防空壕に閉じこもっているんだ。


そういう考え方もあるなぁ。


明日、20日に先駆けて、Hさん家を訪問することになりました。

鉄道模型(Nゲージ)を運転会を見せてもらいます。

20日も行くのですが。


イチゴジャムはもう作りました。

明日、5時から食パンを焼いて、手土産に持ってゆきます。


だから、早く寝なくちゃね。