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私の両親は、物心のまだついていない幼い頃に離婚をしました。

 

それで、私は、父と父方の祖母に育てられて大きくなりました。

私は、おばあちゃん子でした。

 

 

おばあちゃんは、大正2年生まれ。

しつけにはとても厳しかったです。

怒ったら怖いけど、普段は、優しいおばあちゃんでした。

 

夫(私にとってはおじいちゃん)を早くに病気で亡くしたので、女手1つで、父と叔父を育て上げました。

戦争で夫を亡くしたわけではないので、戦争で亡くなった人の配偶者がもらえる恩給?年金?みたいなのもなく、遺族年金とかそういうものもなく、戦後の混乱期、何もない時代に、女手1つで子供を育てるのは並大抵のことではなかったと思います。

 

そして、子供がようやく1人前になったと思ったら、長男(父)が離婚・・・。

孫(私)を育てなくてはいけなくなり、それまた大変だったと思います。

 

 

おばあちゃんの思い出は、いっぱいあり過ぎて、思い出は、数え切れません。

参観日も親子レクも運動会も、お母さん代わりになって、いつも学校に来てくれました。

 

おばちゃんは、当時の女性には珍しく、車の免許を持っていて、小さい頃から、おばあちゃんの車で、色々連れて行ってもらいました。

 

厳しいところやとっても気の強いところもあったおばあちゃんでしたが、大正、昭和、平成と激動を生き抜いたおばあちゃんは、とても強く逞しく、そして、温かかったです。

私は、おばあちゃんのことが大好きだったし、尊敬していました。

 

 

叔父さんの奥さんである叔母さんは、嫁姑問題があって、おばあちゃんのことが嫌いだったとか、それで、従妹もおばあちゃんのことが嫌いだとか、おばあちゃんが亡くなった後に色々と聞かされましたが、そんなこと、おばあちゃんが亡くなったすぐ後に私に言う必要ないだろうに・・・って今でもちょっと根に持っている私です。

 

だって、私の前では、おばあちゃんは、叔母さんの悪口を言ったことはなかったし、従妹の悪口も言ったことがなかったから・・・。

 

叔母さんも嫁姑で、色々大変だったのだとは思うけど、私にそれを言うのは、叔母としてどうなの?って思いました。

親戚関係って、子供の頃よりも、大人になると色々大変ですね・・・。

 

 

今でも、看護学生の時におばあちゃんがくれた手紙が残っています。

 

「友達と仲良く。」

「人との和を大切に。」

「何事も我慢して頑張りなさいね。」

 

手紙の最後には、いつも、そんな風に書かれていました。

 

 

何事も我慢して・・・というのは、「石の上にも3年」という言葉もあるけど、昔の人の考えですよね。

悪い意味ではなく、簡単に物事を投げ出さないということだと思います。

 

 

おばあちゃんは2005年10月4日、91歳で亡くなりました。

晩年は、重度の認知症と2度目の大腸がんのため、寝たきりになり、施設→療養型の病院に入院していました。

私のことも最後は、孫だってわからなくなっていました。

 

私も、最後の頃、病院でお父さんと会いたくないということのために、あまりお見舞いに行くことが出来ず、おばあちゃんの看病が出来なかった。

今でもそのことを思い出すと、おばあちゃんに申し訳なく思います。

 

 

それでも、きっとおばあちゃんは、天国で、お父さんや私を見守ってくれているんだろうな・・・って思います。

 

 

天国のおばあちゃんに恥ずかしくない人生を歩んでいきたいって思います。

 

 

 

夕食後に梨を食べました。

豊水♡ 瑞々しくて美味しかったです♡

昔、おばあちゃんは、色々と果物を用意してくれていたなぁ・・・。

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