先週3/30のことです。

3/26木、3/29日とまた出血。
木曜は、手のひらべったりの鮮血。
日曜日は、その半分くらいの鮮血。
時期も時期だし、予定はあまり入れず、
できるだけ横になれるときは横になって過ごしていましたが、、、そうはいっても動かないといけなくて、うまくいかないこともありますね。
ホルモン剤は、追加にはなりませんでしたが、
プロゲステロンの注射は今日も追加💉
先週プロゲステロンの注射を打たれたあと、2、3日左腕が筋肉痛のような痛みがあったけど、今日はまだ、その痛みはでてきていません。
今日はまた、いつもの旧型の機械でした。
早く、導入決まらないかなー?
胎芽がなかなか、わからなくて
変な汗をかきながら、必死で画面をみていました。
ダミーの写真
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胎芽は13.6mm
週数相当だから、順調と言われました。
旧型の機械だと、サーサーサーと心拍が聞こえました。
ついに、来週は、8wです。
忘れもしない母子手帳を取りに行った翌日、長男を取り上げてくれた産科の先生と久しぶりに会ったタイミングで、2人目の心拍停止が確認されました。
その時に初めて9週の壁が意外に厚いことを知りました

放心状態のまま、なにをしたら、いいのかわからず、うろうろし、はたとセカンドオピニオンを思いつき、診療時間がギリギリのタイミングなのに電話をしたら、それは心配だろうから、すぐ来てくださいと言ってくれて、、、
しかも、初診でした。
大きな病院とは思えぬ、優しい対応をしていただきましたが、見立ては心拍停止、繋留流産は変わりませんでした。
後にも先にも人前であんなに泣いたことはありません。
セカンドオピニオンの産科では、当たり前だけど、沢山の妊婦さん。
その中に1人ぽつんと私のお腹の赤ちゃんだけ亡くなっている事実を受け止められませんでした。
診察室ではなんとか、必死で我慢できたのに
お会計ではボロ泣き。
お会計のおばさんが見るにみかねて、
手を握って励ましてくれたこと、今でも心から感謝しています
病院から、駅までのあいだ、号泣しながら、ただてくてく歩き続けました。
その後、MLCにも相談して、両角先生、鈴木先生が再度、内診してもらいましたが、診断は変わりませんでした。
それで、やっと受け入れられた気がします。
搔爬手術の日は、夫と滅多に喧嘩しないのに大喧嘩して、お腹が痛むのに1人で入院用のバックをもって、情けなくて悲しい気持ちのまま入院手続きをしたことを思い出します。4年経ってもまだ、胸をえぐられるような痛みです。
この胸の痛みと悪阻がひどいのもあって、辛くてなかなか3人目にふみだせませんでした。
2人目の時は、なにがなんでも2人欲しいと思っていたので、なんとか乗り越えられたのな。
正直、今も乗り越えられてはいないかもしれません。
どうしようもできなくて、だけど無理に解決させることもできず、時の流れに身をまかせている、が正しい状態かも。
それは、私がもう一つ悩んでいる子どもの障害の可能性です。
みんなそれぞれ、色んな状態で
今も辛い思いをされている沢山、いると思います。
私は自分自身も未熟で、夫とは傷つけあってしまって、さらに傷口を深めてしまいましたが
その辛い思いを夫婦で労りあえることは何よりの宝物だと思います。
その後、仲直りはしましたが、私の中ではやっぱりしこりになっています。
なぜ、こんなにも女性は身も心も傷つかないといけないのですかね。
命がからむことは、本当に辛いですね。
体の痛み、心の痛み、本当に辛い中、
少しでも心身ともに和らぎますように。
心から妊娠を望む全ての人が授かりますように。

