ネーハイシーザーが生まれた浦河の大道牧場は、ネーハイシーザーが生まれた当時、繁殖牝馬は全部で10頭程度という日高の小さな
家族経営の馬産農家だった。大道牧場の代表生産馬はシンホリスキー、ネーハイジェットといったGllクラスがせいぜいの馬であり、「全国に名を知られた」
というにはあまりにも地味な牧場だった。
ネーハイシーザー自身の血統も、一見して人目を引くようなものとは言いがたい。「父サクラトウコウ、母ネーハイテスコ」と聞いて、ただちにネーハイシー
ザーの血統構成を思い浮かべることができるのは、よほどの血統マニアだろう。サクラトウコウの競走成績は12戦4勝で、主な勝ち鞍は七夕賞(Glll)、
函館3歳S(重賞)とされている。また、ネーハイテスコに至っては1戦未勝利、その1戦も着外という成績では、知っていろ、という方が無茶な話である。
ただ、競走成績は一流とは言いがたい父と母には、いずれも長い間日本で育てられた血統である、という共通点があった。
サクラトウコウは、シンボリルドルフと同じ世代に生まれた。幼駒時代から「大器」とうたわれ続けながらも、慢性的な脚部不安に悩まされ続け、ついに大成
することができなかった。ただ、オーナーはこの馬の潜在能力をどうしても諦めきれず、その熱意で種牡馬入りさせたのである。
一方、ネーハイテスコは、自らの競走成績は振るわなかったものの、父としてテスコボーイ、母の父としてパーソロンという時代のトップサイヤーたちの血を
持っていた。ちなみに、彼女の牝系図をさらに遡っていくと8代母のエスフォードまで「カタカナの牝馬」を遡ることができる。また、パーソロンと交配されて
マリリン(ネーハイテスコの母)を生んだライフレントゲンからさらに交配相手をたどっていくと、1951年の天皇賞・秋や1950年の第1回毎日王冠を制
したハタカゼ、1942年の日本ダービーを制しただけでなく、その産駒からゴールデンウェーブ、ダイゴホマレという2頭のダービー馬を出したミナミホマ
レ、目黒記念などを制したステーツイブキ(イブキヤマ)といった、とてつもなく深遠な内国産種牡馬に行き当たる。彼女の血統こそ、筋金入りの和風血統だっ
た。