昨年亡くした父の自慢は、馬の目利きだった。
裸馬、暴れ馬をよく乗りこなした父は、一目でその馬が走る馬か、そうでないかを見分ける自信があると話していた。
これを聞きつけた職場の後輩が、父を競馬場に誘った。
パドックで、「さあ、教えてください」とせがむ後輩に、父は「全部速い。それも、すごく速い」と答えたのだという。
農耕馬や軍馬を見て鍛えた目に、走る芸術品サラブレッドが、どれもとてつもなく速く映ったのは当然のことだったろう。
似た記憶がある。高校まで野球をやっていた。
大した選手ではなかった。
新聞社に入り、初めてプロのキャンプを訪れたとき、間近で見る投球、送球、打球の速さに度肝を抜かれた。
テレビや球場のスタンドから見るスピード感とはまったく別のすごみがあった。
プロで活躍する選手も、2軍でくすぶる者も、高校や大学、社会人ではスーパースターだった。
それぞれがピラミッドの頂点にいた怪物ばかりの集団なのだから、これも当たり前のことだった。
なまじの経験も邪魔をして、なぜこんなすごい投球を打てるのだろう、なぜあんな打球に追いつけるのだろうと、とても論評する側に回る自信はなく、野球担当から逃げ出した。
かなりの時を経て、サッカーを担当した。こちらはプレー経験がない。
それで記者が勤まるものなのかと、当時の日本代表監督、加茂周さんに愚痴ったことがある。
加茂さんは確か、こう話した。
「ゲームを平面に立って見ることは難しいが、記者はスタンドの高いところから見ているのだから、3倍のスピードで覚えられる。分からないことは、分かる人に聞いたらええ」
この言葉を信じて練習や試合会場に足を運ぶうちにゲームのなかにドラマや、その日の主役、脇役を見いだせるようになってきた。
観察と取材。記者の仕事はつまるところ、その繰り返しだった。
事件を担当していても同じだった。
取材先に、犬をけしかけられたことがある。
頭から水を浴びせかけられたこともある。
それだけ記者の仕事は人に迷惑をかけることが多いのだと自覚しつつ、観察と取材を続けるなかで見えてくるものがあるはずだと信じている。
競馬担当の同僚に聞くと、サラブレッドを見続けるうち、脚の良しあしや調子も分かるようになるのだという。
いまさらながら、野球担当を逃げた後悔は大きい。(編集委員 別府育郎)