新しいものも古びたらカビの生えることもある | dvconのブログ

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人は常に珍しいもの新しいものを食べたりまとったり、珍味に思えた新食品やモードもいつかは定番として浸透していく。その欲求は際限ないものなのだろう。

全ては自己主張や欲求の一環であり、嗜好品とは好きなものを好きなように取り入れればいいだけの話だ。

だから常に新しい甘未やラーメンが工夫され続けている。とはいえ甘未とラーメンの合体は未だになされていないようだ。しかし、出来たとしても挑戦しようとは思わない。

 

1968年にアメリカ映画のヘイズコードという自主規制が撤廃され、それまで上映が困難だったヌードシーンや残酷シーン下品な台詞等を使えるようになり、映画製作の流れが変わり、若い監督たちが自由な作品作りを始めた。

それが前回の「明日に向って撃て!」に代表されるようなアメリカン・ニューシネマの登場が大きく関係しているのは確かだろう。

アメリカン・ニューシネマは1967年制作の「卒業」「俺たちに明日はない」の頃、フランス映画のヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)運動の約10年後に始まったといえる。

アメリカン・ニューシネマには、それまでのアメリカ映画の典型だったハッピーエンドやヒーロー映画に代表される楽天主義的な作品とは異なる、アンチヒーローやアウトローを主人公として、時にメッセージ性を含んだ悲劇的エンディングで幕を閉じる作品も多く登場した。

大半は主人公同様、監督自身も若者である場合が多かったのは、フランスのヌーヴェル・ヴァーグと同じに思えるが、大きく違うのはヌーヴェル・ヴァーグが学生映画の延長であったのに対して、アメリカン・ニューシネマの作家たちの大半はプロの映画人だったという事だろう。

 

初期の代表作である「卒業」では、大学を優秀な成績で卒業して今でいう燃え尽き症候群に陥り、目標を見いだせない主人公が、親と同年代の中年女性の誘惑に負け不倫関係を続け、そして彼女の娘との恋愛による行動で自身を見出し、それまでのハリウッド作品にみられないラストが話題となった。

映画は全編にわたりサイモンとガーファンクルの曲がちりばめられ、映画のヒットと共に彼らもスターダムに登場した。

「俺たちに明日はない」は実在のギャング、ボニーとクライドの破天荒な行動と顛末が描かれ、壮絶なラストシーンが話題となり、その描写においてヘイズコードの幕引きが行われたともいえよう。

「明日に向って撃て!」は武装強盗団ワイルドバンチを扱っているが、そのまま「ワイルドバンチ」を題名にしたサム・ペキンパー監督作では、老ガンマンたちの生き残りと末路を描いた作品だが、本家アメリカの正統的西部劇がマカロニウエスタンに荒らされ続けてしまい、その反動のようにアメリカ映画の底力がさく裂した一大巨編となっている。

とはいえ出演者の大半はアメリカの老優が演じており、純粋ハリウッド大作の印象が強かった。

確かに図式的にはアンチヒーローたちの悲劇的なラストを描いているからか、現在ではアメリカン・ニューシネマの作品列に含まれているようだ。

この作品をテレビ日曜洋画劇場で放送したとき、どんな作品でも褒める解説の淀川長治が珍しく嫌いだといったのが印象的だった。

 

と、アメリカン・ニューシネマ作品をいくつか並べてみたが、その他の作品においても斬新な音楽と融合した映像主義的な作品は、後のミュージックビデオの基本を作ったといえなくもないだろう。

それらの表現方法は今ではスタンダードとなり、現在の映画スタイルの古典となっている。

どの時代も、どのジャンルも、ニューなるものはいつかは定着し古びていくものなので、それを栄枯盛衰というか諸行無常というか、などと大げさに考えてもお腹がすくだけである。