バラードだけど歌わないよ | dvconのブログ

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ニューウェーブという表現がある。しかしサーフィンではない、新しい波=新趣向ということだ。

SF小説で新しい波(とはいっても1960年代の話)は、イギリスのニューワールズという雑誌を中心に起こった運動で、その代表格としてJ・G・バラードの名が挙げられる。

バラードと言ってもピンとくる人は少ないと思う。スピルバーグ監督作「太陽の帝国」の原作者と言えば分かる人もいるだろう。

しかし「太陽の帝国」はSF作品ではない。イギリス人ながら上海生まれのバラードは、少年時代の1940年代に日本軍の収容所に入れられた体験があり、それを小説にした作品だった。

映画化作品は他に「クラッシュ」「ハイ・ライズ」がある。

 

題名と表紙に惹かれて購入したバラードの「時の声」「時間都市」の二冊を読了したときに感じたのは、求めていたエンタティメント性とは異質の読後感だった。

バラードの作品は通常のSFとはかなり違いがある。彼にはSFによく出てくる未来的世界や事件には興味がなかった。とはいえSFには必ずしも科学的な小説でない場合も多く、それなりに楽しめる作品は多々ある。

 

しかしバラードの世界はかなり異質であり、どちらかというと文学のアンチロマン的な独特の雰囲気で、外宇宙(行動)よりも内宇宙(思考)を追求し、読者を選ぶ作品ともいえる。

 

とはいうものの実は上記2冊を読んだだけで、持っているあとの数冊は、いずれは読もうと解説を読んだり拾い読みをした程度で、内容は次第にかなり難解な雰囲気となり、それを強いて言うならばエヴァンゲリオンTV版のラスト2回とでもいうべきか。

 

いつか賢くなった頃にそれらに挑戦するつもりではあった。しかし賢くなってない証拠か書棚で数十年埃をかぶっている始末。

ニューウェーブ運動も一部のファンの間でもてはやされ、続く作家たちも増えてはいったようだ。

しかし、ほぼ同時期にフランス映画から始まったヌーヴェルヴァーグ(英語でニューウェーブ)がそうであったように、優れた作品はあるものの亜流やスタイルだけの模倣や自己満足も多く、それでもSFの間口は広がったといえなくもない。

 

年月は過ぎ去り、テクノロジーの進化や変化によりSFも時代とともに変貌し続け、ニューウェーブ自体も新しいスタイルの小説群に埋もれ、SF小説は多様化の波に呑まれていき、バラードも2009年に亡くなったようだが、進化し続けたそれらの作品を果たして手にすることはあるのだろうか。

 

SFをサイエンス・フィクションととらえずにスペキュレィティブフィクション(思弁小説)の略という案を考えたのはR・A・ハインラインだった。もっとも彼自身はオールドウェーブ(んな言葉あるか?)に属する作家であり、単純なスペースオペラ的な作品とは違う、知的快感を得られるような広義な小説ジャンルとしてSFの浸透を図った訳だ。

その考えを流用して人間の内的世界を探る作品を描こうと試みたのが、ニューウェーブ運動とりわけバラードだった。

とはいえそんなこと言ったらSFの略は、スパイファミリーとかスタイルフリーやスクールフレンドでもいいことになるし、スカイフロント、シスターフライ、スチャラカファーザー、ソーメンフンダクリ、シャチホコフットビ、ステテコフンドシ、ストップファイナル…