マンガが自己表現だった | dvconのブログ

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東京の豊島区にかつての「トキワ荘」を再現した建物がある。藤子不二雄、赤塚不二夫、石森章太郎・・・等の巨匠を生み出したアパートだ。昭和30年代のマンガ家たちが何人も暮らした当時の内部が見事に再現されている。

手塚治虫が東京の宿として住み始めたのがきっかけで、そのころから手塚を慕う若者たちが通い始め、手塚の引き払った後の部屋に藤子不二雄が移り住み、いろいろな若手マンガ家たちの集まる梁山泊と化したのだった。

 

しかし建物はあくまでも再現されたミュージアムであり本物は既に取り壊されてしまった。

老朽化ということもあろうが、文化財を残すという意識の薄い日本人のやりそうなことではある。

文化財とは既存の文化に与えられる評価であり、文化として認められていないものにはその称号はついてこない。

まして文化を作った人の評価は常に遅れるものである。一頃は悪書と言われ、自身もその対象となったマンガを文化の位置に高めた手塚治虫の評価も同様であった。

今までガラクタ扱いだったものの、文化として認定されてからは手のひらを返したように賞賛する。結局は後付けのアリバイ作り評価でしかパイオニアは賞賛されることはないのだろう。

「トキワ荘」建物内部は見事に当時の空気感を醸し出している。台所に至ってはさっきまで調理をしていたかのようである。当時を知る者にはテンション爆上がりなのだ。

どうということのないおんぼろアパートも無くなってしまってからは、そのどうということのなさが貴重な時代の証言となっている。

そして各部屋に住んでいた漫画家たちの存在も容易に垣間見ることができる。

 

お金はなくとも夢がある、とは若者の特権のような言葉だが、ここで暮らした大半のマンガ家は夢を叶え成功していった。

とはいえ最終的には成功者の位置に君臨した彼らは所謂勝ち組なのであろう。その陰には当然ながら名もなく消えていったあまたの漫画家が存在していたことは容易に想像できる。

漫画家にあこがれた幼き日の思い出に浸るにはうってつけの場所かもしれない。