生きるべきか死ぬべきか・・・ | dvconのブログ

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高齢化とその残酷な対処法を描いた「PLAN75」が話題になった。

最終的な選択肢は公的な安楽死幇助なのだが、それを選択せざるを得ない高齢者の世界を映画は描いていく。

現実にそんな制度は無いのでSFといえなくもないのだが、それ以外の事象は現実をトレースしており現在そのものなのだ。

SFの方法に、もしこうなっていたら、という発想法がある。

そんな法制度が出来てしまっていたら、という現在の世界が淡々と描かれる映画は、主演が倍賞千恵子だからなのだろうか、甘さといえなくもない投げ槍ともとれるラストを迎えることになる。現実世界の解決不可能問題をフィクションで答えることは出来ないからだろう。

安楽死を描いた映画で印象的だったのは、純粋SF映画で人口増加がテーマの「ソイレント・グリーン」がある。しかしその描写はかなり対照的ともいえる。

「PLAN75」がいかにも役所の処理というような扱いに対して「ソイレント・グリーン」では人生最後のイベントというか精神的満足感を高める演出で、死を受け入れたご褒美のような最期を迎えさせてくれる。

勿論「ソイレント・グリーン」は娯楽フィクションの世界なので、単純に比較するのは乱暴かもしれないが、死に対する考え方の違いがずいぶん出てくるものだ。

「ソイレント・グリーン」ではその後にいかにもSF的ひねりのラストが待っている。

因みに、そのディストピア世界の舞台となる時代設定は去年2022年で、すでに過去であり結局はそんな時代は来なかったのだが、完全なる娯楽フィクションだと安心できるほど世界は安泰ではないだろう。

 

不死は人類の夢なのかもしれないが、実際にそれが可能となってしまうと、かなり面倒なことになってしまう。その世界が極限までに行きつくと「未来惑星ザルドス」となる訳なのだ。

医学的な死期の延長はある程度可能な時代になっている。勿論それには経済的負担が伴う。金で命を買う時代に突入しているわけだ。

もっと医学が進歩して老化をコントロールできる時代が来て、好きな歳で老化をストップできるようになるとしたら何歳で止めるだろうか。そうなると永久に若者ばかりの世界になりそうだ。そうなるとまた面倒な世界となる。

年齢をストップさせた年代で余命を決められるなら若者ばかりとはならないかもしれない。例えば20代で老化を止めると余命は20年、30代だと30年、40代は40年、50代は50年・・・などと他愛もないSF的妄想にふけるのも暇な老人の娯楽であろう。