こちらのフレーズは私が作ったものではないが、とても気にいってしばしば使わせてもらっている。
本当に真実をついている言葉だからだ。
子どもの自然離れが話題になって久しい。
それだけに現役時代から30年間も子どもを対象にした自然観察会なり自然体験活動を行っている。
現役時代を含めるならばもう1万人を超える子どもたちを相手にしてきただろうか。
その中で、確かに大きく成長したお子さんのみならず子ども時代の思い出を語ってくれる方も現れている。
いっさい他の仕事に就かず活動に専念してから8年がたつが、ますますその思いは強くなっている。
この8年の間にモンゴルやカンボジア(2回)にも行き、現地の子どもたちと授業や遊びなどを通して交流を深めてきた。
現地の子どもたちは、日本と比べて劣悪ともいえる環境の中でもたくましく生きる姿に触れ、大人がセットした教育環境の中で生きることが必ずしもベストとは言えず、むしろ現地の自然の中で遊ぶ子どもたちがイキイキしている姿にも触れた。
この8年間というスパンでみるならば確かに参加してくれる子どもは増えたように思える。
それでも子ども全体の率と比べるならばまだほんの一部に過ぎない。
まして、この8年の間には、コロナ禍という大変な時期があった。
お誘いしてもコロナにかかるかもしれないから行かないという声をもう何度聞いたことだろうか。
そして、今新たな参加を困難にさせる事例が現れている。
それは、熊問題だ。
熊に人が襲われた、熊が街に現れたというニュースが毎日のように続く。
恐怖感が増し、外に出るのもびくびくせざるを得ない。
ではほとぼりが冷めるまで外には出られないのか?
私は、むしろこちらの方が怖い気がしてくる。
子どもの育ちに大きく影響するからだ。
私は、この8年間だけでも1000人を超える大人や子どもたちを里山に案内してきた。
しかし、ただの一度さえ、グループや団体で歩いたときには熊が現れたことがないのだ。
(団体で歩けば100パーセント安心だとは言い切れないかもしれないがそれでも出会う確率は大きく減ることは間違いないだろう。)
そもそも子どもという存在は、自然という環境に大人よりも近い存在だ。
自然の中に入ると遊びも作れるという自然に対する親和性もある。
それがもしその機会が奪われてしまうとなるとどうなるか?
確かに今は室内でも楽しめるツールは多い。
室内でのスポーツ、室内ゲーム、読書、スマホを使った遊びなど。
では、本当にそれだけでよいのか。
自然の中で感じる風の心地よさ、におい、音などシャットアウトされることが良いのか。
自然の中での危険察知も自然の中で磨かれるはずだ。
そのためには、少しの危険もある程度覚悟の上だ。
歩くうちに滑りやすいところやでこぼこの道で転ぶかもしれない。
身体を支えようとつかまった枝にとげがあるかもしれない。
植物の出す液にかぶれることもあるかもしれない。
時には、スズメバチが現れたりマムシがとぐろをまいていることもあるかもしれない。
転べば足をすりむいたり傷がつくこともあるだろう。
だが、この中で何が危ないのか身体にしみこんでいくはずだ。
子どもにとって「何が危険」で「何が大丈夫なのか」は自然が教えてくれるのだ。
これは自然の中に入ってこそ気づくことだろう。
決してマニュアルを見ただけではわからない術を身体で覚えていくはずだ。
もし、活動に親子で参加したならば、親と子の会話が自然に生まれるだろう。
同じ風景を見て感動を同じくする、これは自宅に帰ってからの話題になるはずだ。
活動が終わってからの親子のほほえましい姿はもう何度も見てきた。
異年齢の参加者間にも良好な関係が生まれる。
経験が浅い子どもに対して年上の子は気配りできる。
これは本当にほほえましい姿だ。
年下の子は年上の子に対して尊敬の念を持つに違いない。
野外では最低限度のルールがあればあとは自然が教えてくれる。
例えば、リーダーより先にいってはいけない、山の中で石を投げてはいけないなどだ。
他に必要なものがあれば自然の中で教えたら良い。
野外を歩きなれていない子にとっては、最初は歩くこと自体苦痛かもしれない。
もちろん無理強いさせてはいけないが思わぬことも起きる。
つい先日、地元の特別支援学級の子たちと里山を歩いていた時のことだ。
途中、一人の子が駄々をこねた。
「もう歩けない、歩きたくない。」
と叫ぶのだ。
それでも担当の先生と一緒に歩きながら時間はかかったが、ゴールまできた。
帰り途は、下り坂がほとんどで、歩きやすいのだが、私のすぐ後ろに担当の先生と共についてきてもらった。
下山しながらも時々は眼下に見える風景を眺めたり花の美しさにひたってもらう。
ようやくゴールしたころでその子とお別れの挨拶をしようとした時のことだ。
その子が担当の先生に願っていた。
私と一緒に写真を撮るのだと。
とその時だ。
その男の子が私にぴったり抱きつきながら写真のポーズを決めてくれたのだ。
気持ちが通じ合ったかのようで思わずうれしくなった。
きっと達成感充実感でうれしくて私に伝えたかったのだろう。
これは室内ではなかなか難しいことではないのか?
自然の中でこそ生まれた光景ではなかったのか?
私は一人ほくそ笑んだ。
この日の一番のやりがいが現れた瞬間だった。
今、確かにコロナ禍を経て新たな熊というリスクを抱えたようだ。
私は山に入るときの熊対策は参加者が驚くほどの準備をする。
「子どもの安全安心」はもちろん絶対条件だ。
ただ、だからといって子どもが大きく成長できるチャンスを逃してはならない。
子どもにとって大切な子ども時間は、子ども時代である今だけなのだ。
これからも自然の中で「危ないこと」「大事なこと」を伝えながら歩き続けたい。
それだけ私は里山での子の育ちにかけていきたいと思うのだ。
これは私の「覚悟」でもある。
