毎回、自然観察会や自然体験活動に来てくれる子どもたちと接するたび、この思いを強くしている。
そして、年々魅力的な人工物や人口施設が巷にあふれ、それらに囲まれている子どもたちの喜ぶ姿を見るにつけ、それが本来の子どもたちの姿だろうかと疑問を持つようになってきた。
もっとも現代という「便利な」時代が進むにつれ、昔に戻れよとは言えない。
ただ、他にも楽しいことがたくさんあるのだよ、それは、例えば一歩自然の中に入ってみようよ、それからがスタートだよと言いたいのだ。

毎年、心を痛める情報が入ってくる。
それは、日本の子どもたち(小中高生)の自殺者数の多さである。
2022年に初めて500人を超えた子どもの自殺者数は、今も毎年増え続けている。
しかも全体的には減少傾向にあるのに子どもの自殺者数だけは増え続けているのだ。
一口に500人といえるが、マンモス校が1年に1校なくなるほどの数である。
これは、日本にとってあまりに大きな問題ではないのか。

2019年にモンゴル、2024年、2025年とカンボジアの村や小学校を訪れた時のことが忘れられない。
子どもたちは、確かに貧しかった。
カンボジアでは、学ぶ校舎さえ足りなかったし、猛暑の中でも窓のない薄暗い教室で学び続けていた。
さらに驚いたのは、子どもたちの目の輝きである。
目をキラキラ輝かせ、学び続けていた。
そして帰り際のことである。
訪れた私たち日本人がエアコンの効いたマイクロバスで帰ろうとするとそのバスを彼らは走って追い続けてきた。
私たちに手を振りながら別れを惜しむかのように追い続けてきた。
舗装されていない赤土のホコリが立つ猛暑の中をである。
観光地に行けば、子どもたちは観光客に対して、マグネットや食品を売りに来ていたのも小学生とおぼしき子どもたちだった。
貧しくても自然と一体となっている子どもの姿を垣間見ることができた。
現地通訳の子育て中の父親に日本の子どもたちの自殺者数のことを話した。
通訳の方は、「信じられない」と何度も声に出していた。
では、一体日本の子どもたちに何が足りないのだろうか?
アメリカの海洋生物学者であったレイチェル・カーソンは、彼女の著作「センス・オブ・ワンダー」で次のように述べている。

子どもといっしょに自然を探検するということは、まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性にみがきをかけるということです。それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかいかたをもう一度まなびなおすことなのです。

彼女は、甥のロジャーと毎日散歩をする中で、ロジャーと共に毎日の発見があったのだ。さらに言う。

地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。

そのうえでさらにこんなことも書いている。

感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
自然は、ふさぎこんでいるように見える日でも、とっておきの贈りものを子どもたちのために用意しておいてくれます。

かの宮沢賢治も「注文の多い料理店」序で次のように延べている。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

アメリカのレイチェル・カーソンも日本の宮沢賢治も同じ世界が見えていたのではないだろうか。

公職を退職して9年目になる。
この間、子どもたちや親子を中心に自然観察会や自然体験活動を続けてきた。
活動を通して子どもたちが大きく変わることを実感してきた。
親子関係も目に見えて良くなる場面も見てきた。
繰り返し活動に参加してくれる子どもが大きく成長できる姿も見てきた。

自然観察会や自然体験活動がすべてだとは言わない。
自然体験だけで自殺者数がすぐに減るとは言えないかもしれない。
ただ、今の日本の子どもたちに闇があるとしたら、そこに一筋の光を当てることができるのでないか、今はそう思えてしょうがない。