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昼の紅茶のブログ

人間学や読書記録、人物・歴史探訪旅行記など


 明治維新を成し遂げられた要因は、命知らずの幕末の志士、英雄豪傑が大挙して地湧のごとく現れたことが大きいと思う。それも天が明治維新を成し遂げようと計画したのではないかと思われるほど、全国から天の配剤のように人材が輩出し、それぞれの立場で命がけで行動したことが大きい。

 あまり小説は読まない方なのだが、先月から今月にかけて、幕末のノンフィクション小説を読んでいる。若いころから特に松下村塾を中心とした長州藩の幕末史や明治期の歴史や、西郷さんを中心にした薩摩藩の幕末から明治維新後の歴史に興味を持ってきた。
 
 しかし、歴史小説を手に取ったのは、「花燃ゆ」で松下村塾を中心とした物語をやっているせいなのかもしれない。

 先月下旬から今月初頭に読んだのは、吉村昭氏著の「桜田門外の変」だ。水戸藩の物語だ。水戸学とか、西郷隆盛も尊敬してその家にも訪れている藤田東湖とか、断片的には知ってはいるが、水戸藩関係の本は、これまであまり読んでこなかった。
 
 しかし、読んでみると明治維新に大きく貢献していることを知った。長州よりも先んじていたかもしれない。これは、関鉄之介が、1823年生まれ、吉田松陰は1830年生まれと7歳違うことも影響しているかとも思う。
 
 桜田門外の変から150年ということで、2010年にこの小説を原典として映画「桜田門外の変」が完成し、上映されている。
主演の関鉄之介を演じるのは、「花燃ゆ」で小田村伊之助役もしている、大沢たかおさんだ。
 実は、私はこの映画をまだ見ていない。先月、水戸藩の関鉄之助という人物に興味を持って、購入したのが、単行本の「桜田門外の変」だ。

 この本は、さまざまな資料や当時の関係者の証言、現地を踏んだ現場情報、など何か日本史の論文のような正確さに小説のアレンジを加えた本で、読んでいると、まるで自分が関鉄之介になったかのように引き込まれていった。 
 相当分厚い本だ。読了した日が3月3日だったが、この日が桜田門外の変があった日だったので、少しこの偶然にびっくりしてしまった(暦は旧暦上のことではあるが・・)。しかし、もうひとつびっくりしたのは、調べてみると新暦に直すと、1860年3月24日ということなので、今日が「桜田門外の変」からちょうど155年目の日ということになるのだ。偶然とはいえ、びっくりしてしまった。

 その次に読んだのが、古川薫の「花冠の志士 小説久坂玄瑞 (文春文庫)」だ。単行本は、結構前に出版されているが、この本の文庫版は、昨年の9月に発行されている。
 
 19歳の時に山口県を旅行した時にも、この古川薫さんの本を携えていったものだ。古川薫さんは下関出身で、長州藩や山口県関係の歴史に大変造詣がある方で郷土作家とも言えるかもしれない。山口新聞の編集局長もされた方だ。直木賞も受賞されている。

 これは、松下村塾の久坂玄瑞の話で、「花燃ゆ」にあるように吉田松陰の妹「ふみ」と結婚し、25歳の若さで京都の蛤御門の変(禁門の変)で、寺嶋(作間)忠三郎とともに自刃した、吉田松陰の遺志を継いで、幕末維新の大いなる原動力となった久坂玄瑞の物語である。

 大筋の話は知ってはいたが、ここまで時系列で詳しく読んだのは初めてだった。吉田松陰の命をかけた生き様とその教えを高杉晋作とともに直接松下村塾で学んだ久坂玄瑞の生き様とその著作、そしてそのエネルギーは、全国の幕末の志士たちにも大いに影響を与え、維新の原動力、活性化エネルギーの役割を果たしたと言えるだろう。明治維新は、こういう久坂玄瑞などの数々の俊英の屍を乗り越えて成し遂げられたのだ。

 木戸孝允(桂小五郎)は、1833年生まれで、このブログでよく登場する、カール・ヒルティと同い年だ。幕末維新の志士たちは、この前後(約15年くらい)の生まれの人たちが多い。関鉄之介は少し年長だが、勝海舟と同じ1823年生まれだ。吉田松陰は1830年、西郷隆盛は1828年、久坂玄瑞は1840年生まれだ。坂本龍馬は、1836年生まれである。
今読んでいる桂太郎は、1848年生まれだ。

 全国の志士たちが特に1853年の黒船来航以来の日本で、立場や主張に様々な違いはありながらも、命がけで生き抜いた時代だった。そういう極めてダイナミックで、古い社会の中にありながらも、脱藩や旧習にとらわれない行動で近代日本を切り拓いてきたと言えるのではないだろうか。

 私が、もうひとつ注目しているのが、江戸時代の寺子屋制度だ。武士階級は、四書五経を素読したり、学ぶことが多かったのだろうが、武士階級でなくても、読み書きそろばんを学ぶ機会があった。当時の西洋でも、時が読めない人が多かった時代に、特に幕末には日本の人口に対する識字率は高かった。

 これに、吉田松陰の松下村塾や、緒方洪庵の適塾、佐久間象山や勝海舟、水戸の藤田幽谷、藤田東湖、会沢正志斎、そして福井の横井小楠、など、もっともっと書ききれないくらいの識者がいたのだ。今のように放送網やインターネットの無い時代に、名が上がると、志士たちはその人の家を訪ね、話を聞いている。飛行機も新幹線も電車も無い時代だから、歩いて全国を旅した時代だ。
写本という広がりもあった。

今のようにスピードはなくても、当時のスピードで、着実に志士たちは、交流し、意見を交換していたのだ。

これに、識字率の高い国民が幕末明治をしっかり支えていたであろう。

特に黒船来航から明治維新、そしてその後の日本歩みは、しっかりと腑に落として、歴史に学んで、今後の地球時代の生き方の参考にし、役立てていきたいものだ。