古川薫さん著「山河ありき 明治の武人宰相 桂太郎の人生」を読んでいる。
まだ、途中なのだが、その中で印象的だったのが、陸軍次官から名古屋方面師団長に異動後、数か月後に濃尾地震が発生した際の桂太郎の行動だ。濃尾地震はマグニチュード8.4という明治最大の大地震だった。
本来は、師団長は、地方の騒乱や事変に対しては、地元の地方官の要請がなければ出兵してはいけない規定があった。
しかし、電信は通じず、伝令も連絡もとれないほどの大地震だった。倒壊した家の下には、下敷きになって居る人も多数いる状況だ。
桂が状況報告を求めても、東京に連絡しようとしても、連絡手段もないような甚大な被害状況だった。人命救助や消防に関しては一刻の猶予も許されない状況だった。
桂は、自分が、すべての責任をとると言って、副官に2箇連隊の出動を命じ、連隊を東西に分けて、市民の保護、人命救助、火災消防に当たらせた。
軍隊は、市民からは、疎まれる存在であったものが、これを契機に、災害救助の前例ができ、自衛隊になった現在にも続いているという。
ただ、桂は、事態が落ち着いた後、緊急事態だったが、規定を破ったとして、自ら辞表を書いて提出した。しかし、桂の所属は、天皇直結機関であったため、天皇が却下。かえって、お褒めの言葉を賜ったという。
こういう行動は、なかなかできるものではない。当事者でない自分が安全なところからこういうことを書くのは、控えるべきかもしれないが、時代や状況は違うにしても、仮に阪神淡路大震災の際にも、桂のように自らに進退をかけても責任を持って、迅速に決断し、人命救助最優先で即座に行動するような各機関のトップがもっともっと大勢いたら、助かった命ももっとあったのではないかと思ってしまった。しかし歴史にイフは無いし、過去はもう戻らない。
そして、大部分の人が自分の立場で精一杯頑張られたのだとは思う。当時、震災後の多数の若者を含む、ボランティアの多さにも驚き感動したものだった。
今後も、大地震、大震災が起こらないとも限らない。大震災時の人命救助の妨げになるような法整備を整えることはもちろんだが、行政機関や各機関のトップや責任者は、桂太郎のこういう真の愛情、気概と責任感、行動実践力、決断力に倣い、学ぶべきではないかと思う。