命の糸口
何か最近
急に暑くなったせいでしょうか、
1日が終った夜は
もうグッタリという状態です。
夏本番を前に
早くも
「スタミナ」がどうこうと
考えているので
ございます。
ある資料によると
スタミナとは
「持久力、根気のこと」
「仕事やスポーツを
疲れを感じないで
元気よく長時間できる
能力」なんだそうです。
スタミナ食としてよく
ネバネバ野菜が良いと
言われますが、
夏の旬ものとして、
オクラ・
モロヘイヤ・
ツルムラサキ等が
挙げられるそうです。
とくにオクラは、
アフリカや中近東など
では
暑さで弱った胃腸を
やさしく保護したり、
強壮作用があるということで
スタミナ食として
重宝しているそうです。
トマトソースで炒めたり、
スープにしたりとか…。
オクラを輪切りにして
かき混ぜると
糸をひき、
「ぬめり」が出てきます。この特有の粘りは、
食物繊維の「ムチン」という成分で、
皮膚や粘膜を保護する
働きがあり、
胃炎・胃のただれ・潰瘍等に
効果があるそうです。
胃腸の不調から来る
体調のくずれを
整えるのに効果が
あると言われています。
タンパク質の消化にも役立つそうです。
ある大学教授の指摘では、
「スタミナの正体は
体温、つまり熱」だとか。
熱が冷めてくると、
スタミナ切れが起こる
そうで、
冷えないための熱源は
タンパク質なんだという…。
ですから、
肉など食べたらオクラも。
体の中で、
より効率よく
熱が作れて、
スタミナも増す
ということでしょうか。
こんな感じで、
オクラは、
スタミナのために
あちらこちらで、
糸を引いているわけで
ございます。
さて、
スタミナ(Stamina)は
ラテン語の
「縦糸」(Stamen)
に由来する英語。
辞典によると、
「運命の女神ファーテスが
紡ぐ人間の寿命の糸」
という意味なんだそうです。
ギリシャ神話の中で
女神達が紡いだ糸が
切れると、
運命が切れる=死、
と言われているそうで、
スタミナが切れるとは
つまり運命が切れること
を表しているとか…。
今までスルーしてましたが、
オクラの引く糸は、
人間の命の糸みたいに
見えてきました。
そのあまりの高尚な
意味合いに
緊張してかえって
食べられなくなる
自分がいるかもしれません。
ですが、
ここは
緊張の糸を
切りたいと思います。
急に暑くなったせいでしょうか、
1日が終った夜は
もうグッタリという状態です。
夏本番を前に
早くも
「スタミナ」がどうこうと
考えているので
ございます。
ある資料によると
スタミナとは
「持久力、根気のこと」
「仕事やスポーツを
疲れを感じないで
元気よく長時間できる
能力」なんだそうです。
スタミナ食としてよく
ネバネバ野菜が良いと
言われますが、
夏の旬ものとして、
オクラ・
モロヘイヤ・
ツルムラサキ等が
挙げられるそうです。
とくにオクラは、
アフリカや中近東など
では
暑さで弱った胃腸を
やさしく保護したり、
強壮作用があるということで
スタミナ食として
重宝しているそうです。
トマトソースで炒めたり、
スープにしたりとか…。
オクラを輪切りにして
かき混ぜると
糸をひき、
「ぬめり」が出てきます。この特有の粘りは、
食物繊維の「ムチン」という成分で、
皮膚や粘膜を保護する
働きがあり、
胃炎・胃のただれ・潰瘍等に
効果があるそうです。
胃腸の不調から来る
体調のくずれを
整えるのに効果が
あると言われています。
タンパク質の消化にも役立つそうです。
ある大学教授の指摘では、
「スタミナの正体は
体温、つまり熱」だとか。
熱が冷めてくると、
スタミナ切れが起こる
そうで、
冷えないための熱源は
タンパク質なんだという…。
ですから、
肉など食べたらオクラも。
体の中で、
より効率よく
熱が作れて、
スタミナも増す
ということでしょうか。
こんな感じで、
オクラは、
スタミナのために
あちらこちらで、
糸を引いているわけで
ございます。
さて、
スタミナ(Stamina)は
ラテン語の
「縦糸」(Stamen)
に由来する英語。
辞典によると、
「運命の女神ファーテスが
紡ぐ人間の寿命の糸」
という意味なんだそうです。
ギリシャ神話の中で
女神達が紡いだ糸が
切れると、
運命が切れる=死、
と言われているそうで、
スタミナが切れるとは
つまり運命が切れること
を表しているとか…。
今までスルーしてましたが、
オクラの引く糸は、
人間の命の糸みたいに
見えてきました。
そのあまりの高尚な
意味合いに
緊張してかえって
食べられなくなる
自分がいるかもしれません。
ですが、
ここは
緊張の糸を
切りたいと思います。
癒やしの証
6と3で「ムーミン」。
語呂合わせが好きで、
「ムーミン」が好きで、
おまけに
記念日が好きな日本人にとって、
6月3日は
「ムーミンの日」というのは
しごく当たり前のこと。
ですが、かつて…
の話なのです。
というのも、
「ムー(6)ミン(3)」の語呂合わせは、
日本だけ、
「全世界で通用する記念日を」
ということで
作者のトーベ・ヤンソンの
誕生日:8月9日に
改められたそうです。
ムーミン誕生60周年にあたる
2005年のこと
でございます。
わたくしも、
もちろん好きでした。
子供向けの番組でしたが、
幻想的で詩情に満ちた
画の雰囲気と色使いが、
たまらなく好きでした。
歌やBGMもしかり。
特にオープニングは、
「ねえムーミン
こっち向いて…」の
歌詞は子供向け
ド真ん中のストライク
ですが、
メロディーは
永遠の名曲だと思っております。
間奏部分は感動で
鳥肌が立ちます。
エピソードよりも
わたくしの中では、
こんなムーミンの
芸術性が
より色濃く記憶に
残っています。
数年前、
仕事でギリシアに
いった時のこと、
煌々と輝く月夜、
海岸を散歩したことが、ありました。
月光が波間に反射し、
あたり一面キラキラと
点滅したり、霞んだり…。
天地逆さまの昼間
のような幻想世界が
広がっていました。
その時、間髪入れず
思ったのは、
「ここはムーミン谷?」
でした。
昔、子供ながら
「ムーミン」から
五感にもらった癒やしが
今なお…
と。
原作者のヤンソンさんは、
「私のムーミンは
ノー・カー、
ノー・ファイト、
ノー・マネーだ
(車とカネを持たず、
また争わない)」と
その世界観を
語っていたとか。
この魂が、
癒やしの元と
なっているのかも
しれません。
そういえば、
湾岸戦争の時
他局が
報道特番を行っている中、
ある局のみ
通常番組として
「ムーミン」を放送し、
結果、高視聴率を得た
ということが
ありました。
この独り勝ち現象、
当時色々と
憶測が飛び交っていました。
わたくしは、
他でもなく
悲惨な戦争報道ばかりの中、
癒やしの伝道師:「ムーミン」
だったからこそ
独り勝ちになったのだと
思っています。
語呂合わせが好きで、
「ムーミン」が好きで、
おまけに
記念日が好きな日本人にとって、
6月3日は
「ムーミンの日」というのは
しごく当たり前のこと。
ですが、かつて…
の話なのです。
というのも、
「ムー(6)ミン(3)」の語呂合わせは、
日本だけ、
「全世界で通用する記念日を」
ということで
作者のトーベ・ヤンソンの
誕生日:8月9日に
改められたそうです。
ムーミン誕生60周年にあたる
2005年のこと
でございます。
わたくしも、
もちろん好きでした。
子供向けの番組でしたが、
幻想的で詩情に満ちた
画の雰囲気と色使いが、
たまらなく好きでした。
歌やBGMもしかり。
特にオープニングは、
「ねえムーミン
こっち向いて…」の
歌詞は子供向け
ド真ん中のストライク
ですが、
メロディーは
永遠の名曲だと思っております。
間奏部分は感動で
鳥肌が立ちます。
エピソードよりも
わたくしの中では、
こんなムーミンの
芸術性が
より色濃く記憶に
残っています。
数年前、
仕事でギリシアに
いった時のこと、
煌々と輝く月夜、
海岸を散歩したことが、ありました。
月光が波間に反射し、
あたり一面キラキラと
点滅したり、霞んだり…。
天地逆さまの昼間
のような幻想世界が
広がっていました。
その時、間髪入れず
思ったのは、
「ここはムーミン谷?」
でした。
昔、子供ながら
「ムーミン」から
五感にもらった癒やしが
今なお…
と。
原作者のヤンソンさんは、
「私のムーミンは
ノー・カー、
ノー・ファイト、
ノー・マネーだ
(車とカネを持たず、
また争わない)」と
その世界観を
語っていたとか。
この魂が、
癒やしの元と
なっているのかも
しれません。
そういえば、
湾岸戦争の時
他局が
報道特番を行っている中、
ある局のみ
通常番組として
「ムーミン」を放送し、
結果、高視聴率を得た
ということが
ありました。
この独り勝ち現象、
当時色々と
憶測が飛び交っていました。
わたくしは、
他でもなく
悲惨な戦争報道ばかりの中、
癒やしの伝道師:「ムーミン」
だったからこそ
独り勝ちになったのだと
思っています。
始まりと終わりの日
85年前の今日、
1925年6月2日、
わたくしの大好きな
ルー・ゲーリッグが
その前日まで
レギュラーだった
スランプの一塁手:
ウォーリー・ピップの代役として
スタメン出場しました。
その時のヤンキースは不振で、当時のミラー・ハギンス監督の応急処置的なスタメンでした。
これ以後、ゲーリッグは試合に出続け2130試合連続出場の記録をつくりました。
ゲーリッグの記録の更新を阻んだものが、病気でした。
この病気は「筋萎縮性側索硬化症」という
全身の筋肉が原因不明のまま縮んでいき、急激に運動機能が低下するという
いまだにその原因がわからないこの難病は、
後に「ゲーリッグ病」とも呼ばれることとなりました。
「アメリカの英雄ルー・ゲーリッグの記録をとめた病気」ということなんでしょうか。
ゲーリッグは、この2年後の1941年(昭和16年)6月2日に息を引き取りました。
わずか37歳、ピップから一塁手のレギュラーポジションを奪ったちょうど16年後。
6月2日に記録が始まり、6月2日に終わった彼の人生でした。
38歳の誕生日の17日前であったそうです。
ルーの妻:エレノア・ゲーリッグさんは自著で
「私たちは決して不運な星の下に生まれたのではありません。
喜びに笑い、悲しみに泣きながら、人生で最も手に入れるのが難しく、
最も大切なものをつかんだのです。
神は私とルーのために、
大きな祝福を与えて下さったのです。」と
結んでいます。
1925年6月2日、
わたくしの大好きな
ルー・ゲーリッグが
その前日まで
レギュラーだった
スランプの一塁手:
ウォーリー・ピップの代役として
スタメン出場しました。
その時のヤンキースは不振で、当時のミラー・ハギンス監督の応急処置的なスタメンでした。
これ以後、ゲーリッグは試合に出続け2130試合連続出場の記録をつくりました。
ゲーリッグの記録の更新を阻んだものが、病気でした。
この病気は「筋萎縮性側索硬化症」という
全身の筋肉が原因不明のまま縮んでいき、急激に運動機能が低下するという
いまだにその原因がわからないこの難病は、
後に「ゲーリッグ病」とも呼ばれることとなりました。
「アメリカの英雄ルー・ゲーリッグの記録をとめた病気」ということなんでしょうか。
ゲーリッグは、この2年後の1941年(昭和16年)6月2日に息を引き取りました。
わずか37歳、ピップから一塁手のレギュラーポジションを奪ったちょうど16年後。
6月2日に記録が始まり、6月2日に終わった彼の人生でした。
38歳の誕生日の17日前であったそうです。
ルーの妻:エレノア・ゲーリッグさんは自著で
「私たちは決して不運な星の下に生まれたのではありません。
喜びに笑い、悲しみに泣きながら、人生で最も手に入れるのが難しく、
最も大切なものをつかんだのです。
神は私とルーのために、
大きな祝福を与えて下さったのです。」と
結んでいます。