スピリチュアルな話

 

どこかの誰かや何かが伝えたいもの。

そんな、ある種メッセージ的なものを得たいな~~って思う時。

 

 

自分の中を(ある程度)空っぽにする必要がある。

 

 

空っぽとは何ぞや。

 

 

そもそも、日常のあれこれを考え続けてる頭だと、

そりゃあ、騒がしくて難しい。

 

 

どれが私の言葉?どれがあなたの言葉?

っていう風に。

 

 

空っぽとは、受け取る態勢が整えられているということ。

私が!私が!ではなく、ぜひあなたを!と。

 

 

「無」になるのとはちょっと違う。

意識も何も超越した時空間では、受け取って言語化することは叶わない。

 

 

求めているのは神秘的体験や超越意識ではなく、

メッセージ的なものである以上、受け取り、把握するだけの「私」という領域が必要不可欠。

 

 

「私」は消さず、

しかし、頭と心は静かに。

 

 

そして、あらゆる可能性を認めていること。

 

 

予期せぬこと、望まぬこと、想定外のこと、

そんな、「私の頭と心」が「え!?」と、極端に反応してしまうようなものも、

メッセージとしてあり得るのだということ。

 

 

実際、そんなかなりぶっ飛んだことが訪れない。

大概は、「今の私が受け取れること」という制約の元に、降りてくる。

 

 

その制約の幅を広げるのが、可能性への許可。許容。

空っぽの拡大。

 

 

 

・・・抽象的やな(笑

 

・・・わかりにくいよね(苦笑

 

 

 

つまるところ、

頭と心を静かにさせるほどに、メッセージは受け取りやすく、

あらゆる可能性を許可するほどに、幅が広がって、広く深く濃くなる。