本日3月10日は1945年に東京大空襲があった日です。(実際には3月10日未明=9日から10日にかけて、ですが)

 

国体(天皇護持)を守ること”だけ”のが本分の大日本帝国軍は毎度おなじみ御多分にもれず、自らの手で国民を守る気がなかったのが「空襲からの防衛はすべて自助努力」とされて防衛資材の支給もなかったことから窺い知れます。

 

沖縄戦でも民衆に集団自決を強いて、満州でも開拓民に集団自決を強いて、強いた側の責任者は往々にして生き残り、戦後にちゃっかりと議員やエスタブッシュメントに名を連ねてゆく。

改めて調べなおしていくと、我が母国日本が明治以降そういう状態を続けてきたことが浮き彫りになってきます。

 

敗戦国となり実質米国の属国状態を戦後一貫して続けているとはいえ、日本を空襲で苦しめた敵陣営の空軍大将に勲章を授与し、実際の戦没者慰霊施設である千鳥ヶ淵戦没者苑が今ひとつ耳目を集めない、など個人的に納得がいかないことは複数あります。


 

2005年に再編された「日米同盟:未来のための変革と再編」で我が国日本は「米軍が進軍するところならどこへでもついていく」的なニュアンスのことを同意した的な記述が(記憶違いでなければ)ルポルタージュ『田中角栄 封じられた資源戦略』にありますが、現状のウクライナの梯子の外され方を見ていても日本が同様の「代理戦争に引き摺り込まれ、しまいには”お前単独のせいだ”とされる」のは一部の察しがよい人たちには想像がついている模様。

その想像がついている一部諸氏にとっては「理由をつけて開戦の火蓋を切って落とすのは我が日本の側」という予想がついており、「敵基地攻撃能力」なる単語はその最たる証左です。

 

かつてこの日本列島が受けた空襲の数々のひとつ、東京大空襲の今日を思い出すと、日本がまたその渦中へと自ら身を投じていこうとする現況の社会情勢に、ただただ不安を覚えるばかりなのであります......。

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