本日2月26日は、1936年(昭和11年)に2・26事件が発生した日です。


 

主な経過の中には「斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監が殺害され、鈴木貫太郎侍従長が重傷を負った」という内容があるのですが、過日にルポルタージュ『絶望の移民史』を読んだ身としては「高橋是清殺害」のくだりがやや気になります。

 

「満州移民の計画に消極的な態度を取り続けていた高橋是清が2.26事件で死亡、事件後発足した広田内閣が満州移民を国策のひとつに含めた」という点ですね。太平洋戦争・第二次世界大戦終結後の極東軍事裁判で文官としてただ一人極刑に処された広田弘毅。

 

 

 

第二次世界大戦後の日本のエスタブリッシュメントにどうしても「満州国閥」がさんざんちらつくことから考えると、2・26事件の表面のできごとだけでなく「見えないところでどんな意思が働いていたのか」は個人的にはどうも引っかかります。

 

果たして広田弘毅は何を知っていたのか、または知らなかったのか、何に関わっていたのか、または関わっていなかったのか。
個人的には気になるところです。