「12月にはインドへ行きたいなぁ」と話し合っていたボスと私、先遣隊2名。
プロジェクトの為に日本での生活を断ち切ることに迷いがなく、断ち切ろうと思えばほぼすぐに断ち切れる状態の人員が我々2名しかいないので、やむを得ずこの人員構成となっています。
その他のメンバーは日本と他国を又にかけたビジネスをしている状態なので、先遣隊2名に追随する形でインド入りすることが予定されていますが……。

インド現地へのファシリテーションを進めてくれている印僑のかた(『2011/11/13(日) 一歩前進の気配。』)が12月にインドへ一時帰国するのに合わせて先遣隊2名もインド入りしようと考えていたのですが、12月はクリスマス月間と年の瀬で物事が動かない予感が我々2名も脳裏に浮かんできました。
くわえて、その方のインド一時帰国も2月初旬くらいに予定が変更、と聞きまして。

これは1ヶ月遅らせた方が良いだろう、と判断。
内部被曝で自分達の身体に受けるリスクの蓄積と、日本政府がいつ自分達の政権を持続することに対して匙を投げるかというリスクを考えると、遅らせたくないのが本音ですが、致し方ありません。
1月の下旬に入ってすぐ、くらいの時期を出発目標にすることにしました。

というわけで出発までの1ヶ月間、あいかわらず内部被曝には気をつけなければなりません。
関東地方では空間線量が下がったから大丈夫、と安心している人がどうも多いようですが、それは「空気中の放射線そのものが減少したのではなく、地面に落下して付着したり、樹木や建築物や乗り物などに付着したため、減ったように見える」だけの話。福一から放出されている放射性物質の核種は最低でも30種類はあり、それぞれの半減期が来るまで減少することは「決して」ないのです(テレビなどでニュースにはなっていませんが、経産省のWEBサイトの「とぉっても見つけずらい所」に放出されている放射性物質の種類のファイルを見つけたことがあります。「国民にはなるべく知られないようにしたい、なおかつ「何故ちゃんと発表しなかったんだ!」と糾弾された時に「WEBにちゃんと載せておきました」と言い訳できるようにするためでしょう。姑息だなぁ……)。
しかも半減期で減少するのは文字通り「半分」。「1→0.5→0.25→0.125→0.075……」という具合に。
この辺については「半減期が来たら無くなる、とかドンドン減る」など楽観的な誤解が日本国内の大半に蔓延しているような気がします。
チェルノブイリの被害を経験した国々では、1,000キロ以上離れた欧州の国々でさえ甲状腺癌はもとより白血病など複数の疾病の罹患率が2~4倍増加した経緯があり、それを身を以て経験しており被曝について市民がきちんと知識を持っている国々の人の目には、現在の日本政府や日本人の対応は「異常」と見えてもおかしくないでしょう。

事故発生時福一プラント内に残っていた燃料の半分の量で8,000キロ離れた日本の東日本地帯で乳癌死亡率がチェルノブイリ事故から数年で2倍に上昇した、ということも厚生労働省の死亡率データをグラフにするだけで見えてくるくらいの被害がチェルノブイリ事故がもたらしたものです(映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』、肥田舜太郎・鎌仲ひとみ共著『内部被曝の脅威』参照)。
ということは、チェルノブイリ原発4号炉の二倍の燃料量がいまだに核分裂を日々続けている福一プラントからわずか200~250キロ・風向きもしょっちゅう向いてくる関東圏域が「大丈夫でしょ(^o^)」と思える理由が、私にとってはどうやっても存在し得ないのです。
(反面、距離が近くても風向きがまったくと言ってよいほど向かない地域・地形でさえぎられている地域は意外と汚染度が低かったりするのです)

「大丈夫」と思える理由が、「テレビがそう言ってるから」だったり「周囲が安全だと言ってるから」だとすれば、先の大戦中を含めそれらの理由が如何にあてにならず真実と程遠いことばかりか、ということを人生全体を通してイヤというほど思い知らされている私からすれば、あまりに心許ない理由だと言わざるを得ません。

先の大戦中に「新聞報道がいつも快勝を叫んでいたのに、実態はボロボロで負けるのは時間の問題だった」「戦争をすることに異を唱えるだけで「非国民」と呼ばれ村八分にされた」などの構図は、そのまま今回の福一事故にも重なります。
戦後の日本政府が、実は基本的にまったくと言ってよいほど改善も進歩もしていなかったことを考えれば、どんなニュースもまず一度自分の中に落とし込んでしっかりと考えて受け止めてみる」という姿勢は不可欠だと思うのです。
私の場合は、安全派・懐疑派・慎重派・危険派の意見や論調を調べ、ドキュメンタリーも動画でアーカイブがあるものはできるだけたくさん目を通し、政府のあらゆる姿勢が過去の工業公害・薬害の数々とまったく同じ図式で動いていることに気づき公害薬害系まで調べ政府の動向がはらんでいる背後の意思まで読み解こうとし、放射線がどのように細胞に影響を与えるかという基本まで立ち返って分析考察しました。

さんざんそうしてきた結果、「安全な被曝は存在しない」「福一事故は人類史上最悪の核汚染事故であり、いつ収束するかの時期さえ予測が容易に立たない」「海外の専門家達が危惧している「福一事故は既に1,000万人規模で手遅れ」は決して騒ぎ過ぎなどではない」という内容に信憑性を感じざるを得ないようになっています。

それでも「安全」と信じて疑わない方に対しては「わかりました。ではその選択で生きていってください」と言うしかありませんので、私は私の判断と決断で行動していくだけのことですが……。
それでも危機を訴えたりするのは「危険だとわかっていることに対して「危険だよ」と言わないで黙りこくっているのは卑怯だと思う」からであって、「あぶないよ」という警告は今後も発していくは思いますが……。
何を決断するかによって、最悪生き死にの明暗さえ分ける、というものだとは思っています。
今の日本で放射能について危険派を揶揄したり嘲笑する人が後を立たないのは、普段の生活の中で生き死にの明暗を分けるほどの選択が基本的に存在しておらず、生活のすべての物事において「判断し、選択している」という自覚が得られないままに生きている為、「ある選択が最悪生き死にの明暗さえ分ける」ということを忘れてしまっていて想像できないからなのではないかと認識しています。

「生き死にの明暗さえ分ける」
そのくらいの気持ちでインド先遣隊2名は、「日本に居続けることのリスク」を捉えています。
それだけシビアに捉えなくてはならないくらい、日本は潜在的にはらんでいたリスクが異常に増大した国になってしまったのだ……と。


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