『2011/04/03(日) 映画『六ヶ所村ラプソディー』』にて、ドキュメンタリー映画『六ヶ所村ラプソディー』を観に行った小劇場に、今度こそ『100,000年後の安全』を観に行こうとリベンジに向かいました。
『六ヶ所村ラプソディー』を一緒に観に行ったアクション関係のかたと、その友人のかたと私の合計3人で、でした。
この日は無事に整理券をゲットできて、観賞することができました。
映画『100,000年後の安全』は、フィンランドのオルキルオトに現在建設中の放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」の建築現場とそれに関わる企業や役所の関係者へのインタビューで構成されるドキュメンタリーです。
それは、死にたくなるほど気が遠い、死にたくなるほど気の重い、「実話」。
■公式サイト
http://www.uplink.co.jp/100000/
「オンカロ」とは、フィンランド語で「隠れた場所」という意味。
地下500mの深い穴を掘って、そこに放射性廃棄物を埋蔵し、再び人が入れないように封鎖し近づけないようにするのですが、前世紀20世紀の終わりから建設が始まり、完成するのは来世紀22世紀の予定。
完成する頃にはすでに我々はこの世に生きてはおりません。
そのオンカロに埋められる放射性廃棄物が完全に無害になるのは、10万年先の見込みです。
埋められる廃棄物が未来の世代へ悪しき影響を及ぼさないように、10万年間誰にも発見されず、10万年間持ちこたえ、10万年間立ち入らせないことが、オンカロには求められているのです。
しかし、10万年間持ちこたえることは果たして可能なのでしょうか?
オンカロの建設に関わる技術者・関係者達は、放射性廃棄物の処分について意見を出し合いました。
「ロケットで太陽に送り込んでしまえばいい」
「海底に埋める方法は?」
......などなど、考え得る限りの意見を出し合い、話し合った結果、フィンランドの地盤が歴史も古く強固であることを利用し、地中深く埋める方法を取ることを選択したのです。
この映画の本編中でフィンランド放射線・原子力安全センターのヴェンドラ・パイレ女史は語ります。
「放射線は人体の奥深くまで浸透するエネルギーで有害です。透明で無臭なので、放射能を人間の五感では感知できません。それでも、人を死に至らしめることがあります。
放射線は、エネルギーの小さなパッケージのようなもので、細胞の中のDNAに当たると、それを切断・破壊してしまいます。
全身がひどく強く被曝しても、1時間くらいは何の変化もありません。でもしばらくすると、激しい吐き気に襲われ、嘔吐して、食中毒にでもなったかと疑います。
2週間もすると出血が始まり、下痢と発熱が続きます。そしてわずか数週間で死んでしまうこともあります。
放射線はその強さにより、遺伝子を傷つけたり変異させたりして、病気や機能障害の原因となり、さらには生まれてくる子供の障害を引き起こさせることもあります。
ですから、放射線レベルが高い場所には、決してとどまってはいけません。強い放射能を持つ物には絶対触れてはいけません」と。
そのようなリスクを持つ放射性廃棄物が未来の世代へ残す悪影響を少しでも減らそうと建設が進むオンカロ。
しかし、10万年のあいだに何が起こるかを予測するとき、あらゆる可能性を想定しなければいけません。
今以上の発展か、石器時代レベルにまで文明が後退してしまうのか、誰にも予想などできません。
もしも誰かがオンカロを見つけてしまったら、どうやって「ここは危険だ。ここから離れろ。決して近づくな」という警告を理解させるのか。
思いつく限りのあらゆる可能性に対する手段が話し合われ、意見が出し尽くされていきます。
映画は、未来の人類へ語りかける口調で進みます。
それは同時に、観ている私達への語りかけでもあります。
途方に暮れるほどの現実に遭遇すると、私たちは思考停止をしてしまうものです。
その思考停止が、10万年もの先の未来にどんな影響を及ぼすのかを、考えずにはいられません。
その影響を、フィンランドは先に考え始めています。
1987年に「未来の世代が負うことになる義務の軽減、未来の世代の保護、廃棄物処分場についての情報を未来の世代に伝えていく」という目標を包括した法律を制定済みなのです。
フィンランドから遅れること24年、自国で人類史上最大の原子力発電所事故が起こってしまった日本が、いまだに問題を先送りしようとしていることとは雲泥の差があるように思います。
そんなフィンランドでオンカロに関わる者達でさえも、未来の人類を信頼するこができるか?と問われると答えに詰まっています。
日本の関係者は果たして、そこまで考えが及んでいるのか?
そう考えると、悪寒と絶望感が湧きあがってくるばかりです。
10万年という想像を絶する長い時間を、放射性廃棄物の問題を通して意識させられ、私たちの思考停止と無関心が未来にどう繋がっていくのか。
原発に賛成するか、反対するか、という単純な対立ではなく、賛成反対どちらの側にとっても「今考え、今処理していかなければならない目の前の問題なのだ」ということを、嫌というほど思い知らされます。
人類が原発をやめるまで、
もしくは人類が滅びるまでに、
いったいあといくつ「最終」処分場が必要なのでしょうか。
※旧ログ「Qingxiangの日々的話話は」コチラ↓(過去ログ1512件!)
http://plaza.rakuten.co.jp/dawuyan/
『六ヶ所村ラプソディー』を一緒に観に行ったアクション関係のかたと、その友人のかたと私の合計3人で、でした。
この日は無事に整理券をゲットできて、観賞することができました。
映画『100,000年後の安全』は、フィンランドのオルキルオトに現在建設中の放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」の建築現場とそれに関わる企業や役所の関係者へのインタビューで構成されるドキュメンタリーです。
それは、死にたくなるほど気が遠い、死にたくなるほど気の重い、「実話」。
■公式サイト
http://www.uplink.co.jp/100000/
「オンカロ」とは、フィンランド語で「隠れた場所」という意味。
地下500mの深い穴を掘って、そこに放射性廃棄物を埋蔵し、再び人が入れないように封鎖し近づけないようにするのですが、前世紀20世紀の終わりから建設が始まり、完成するのは来世紀22世紀の予定。
完成する頃にはすでに我々はこの世に生きてはおりません。
そのオンカロに埋められる放射性廃棄物が完全に無害になるのは、10万年先の見込みです。
埋められる廃棄物が未来の世代へ悪しき影響を及ぼさないように、10万年間誰にも発見されず、10万年間持ちこたえ、10万年間立ち入らせないことが、オンカロには求められているのです。
しかし、10万年間持ちこたえることは果たして可能なのでしょうか?
オンカロの建設に関わる技術者・関係者達は、放射性廃棄物の処分について意見を出し合いました。
「ロケットで太陽に送り込んでしまえばいい」
「海底に埋める方法は?」
......などなど、考え得る限りの意見を出し合い、話し合った結果、フィンランドの地盤が歴史も古く強固であることを利用し、地中深く埋める方法を取ることを選択したのです。
この映画の本編中でフィンランド放射線・原子力安全センターのヴェンドラ・パイレ女史は語ります。
「放射線は人体の奥深くまで浸透するエネルギーで有害です。透明で無臭なので、放射能を人間の五感では感知できません。それでも、人を死に至らしめることがあります。
放射線は、エネルギーの小さなパッケージのようなもので、細胞の中のDNAに当たると、それを切断・破壊してしまいます。
全身がひどく強く被曝しても、1時間くらいは何の変化もありません。でもしばらくすると、激しい吐き気に襲われ、嘔吐して、食中毒にでもなったかと疑います。
2週間もすると出血が始まり、下痢と発熱が続きます。そしてわずか数週間で死んでしまうこともあります。
放射線はその強さにより、遺伝子を傷つけたり変異させたりして、病気や機能障害の原因となり、さらには生まれてくる子供の障害を引き起こさせることもあります。
ですから、放射線レベルが高い場所には、決してとどまってはいけません。強い放射能を持つ物には絶対触れてはいけません」と。
そのようなリスクを持つ放射性廃棄物が未来の世代へ残す悪影響を少しでも減らそうと建設が進むオンカロ。
しかし、10万年のあいだに何が起こるかを予測するとき、あらゆる可能性を想定しなければいけません。
今以上の発展か、石器時代レベルにまで文明が後退してしまうのか、誰にも予想などできません。
もしも誰かがオンカロを見つけてしまったら、どうやって「ここは危険だ。ここから離れろ。決して近づくな」という警告を理解させるのか。
思いつく限りのあらゆる可能性に対する手段が話し合われ、意見が出し尽くされていきます。
映画は、未来の人類へ語りかける口調で進みます。
それは同時に、観ている私達への語りかけでもあります。
途方に暮れるほどの現実に遭遇すると、私たちは思考停止をしてしまうものです。
その思考停止が、10万年もの先の未来にどんな影響を及ぼすのかを、考えずにはいられません。
その影響を、フィンランドは先に考え始めています。
1987年に「未来の世代が負うことになる義務の軽減、未来の世代の保護、廃棄物処分場についての情報を未来の世代に伝えていく」という目標を包括した法律を制定済みなのです。
フィンランドから遅れること24年、自国で人類史上最大の原子力発電所事故が起こってしまった日本が、いまだに問題を先送りしようとしていることとは雲泥の差があるように思います。
そんなフィンランドでオンカロに関わる者達でさえも、未来の人類を信頼するこができるか?と問われると答えに詰まっています。
日本の関係者は果たして、そこまで考えが及んでいるのか?
そう考えると、悪寒と絶望感が湧きあがってくるばかりです。
10万年という想像を絶する長い時間を、放射性廃棄物の問題を通して意識させられ、私たちの思考停止と無関心が未来にどう繋がっていくのか。
原発に賛成するか、反対するか、という単純な対立ではなく、賛成反対どちらの側にとっても「今考え、今処理していかなければならない目の前の問題なのだ」ということを、嫌というほど思い知らされます。
人類が原発をやめるまで、
もしくは人類が滅びるまでに、
いったいあといくつ「最終」処分場が必要なのでしょうか。
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映画『100,000年後の安全』パンフレット
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