「一番好きなクラブチームは?」と聞かれたら、「レアルマドリード」と答える。

なんせ、レアルの試合を見るためにWoWoWに加入している。


レアルを好きになったのは、2002-03シーズン。

デル・ボスケ率いる当時のレアルはまさに最強だった。

前年は、CL優勝、そしてその年リーガ優勝。

結果もさることながら、それ以上にやっていたサッカーの質が本当に凄かった。


当時のレアルはどこから攻めても凄かった。

後ろからイエロとマケレレが正確なフィードで攻撃を組み立て、ジダンからは、誰もボールがとれなかった。フィーゴは多彩なドリブルとクロスでチャンスを演出、ロベカルのオーバーラップの速さと左足の強烈なシュート、ラウールが左足を振りぬけば、ボールはゴールに吸い込まれ、ロナウドが動けば点が入った。

個々もメチャクチャ凄いのだが、それらが有機的に結びついていたのが一番凄い。

圧倒的なポゼッションとファンタジー。

これが本当にサッカーか、と目を疑った。


当時、ペレス会長は、チームの強さを自らが掲げた「ジダネス&パボネス政策」の結晶だと鼻を高くしていた。

自分の獲ったスター選手とカンテラ生え抜きの融合が功を奏したと。

確かに、当時のジダンやフィーゴは全盛期で誰もとめられなかったし、

生え抜きのラウール、グティ、パボンも目覚しい活躍をしたと思う。

しかし、当時のレアルが世界を圧倒していたのは、デル・ボスケがチームに植え付けた「哲学」だと思う。

しかもその哲学は、理想だけでなく、現実として、チームに浸透し、究極のバランスと美を奏で、結果をモノにしてきた。


しかし、今のレアルはどうだろう。

明確な哲学を欠いている。

故に選手は、プレーに迷いを覚え、各々が孤立、バランスを失い、ギャラクティコは影を潜めている。

選手の個々のレベルと層でいえば、数年前に引けをとらないどころか、それ以上だろう。

今のレアルに必要なのは、シシーニョやカッサーノではない。

レアルに相応しい、哲学を持った優秀な監督である。



自己実現においての目標はそれぞれあると思う。

自分の自己実現目標は、インスパイアできる人間になること」だ。


今まで、たくさんの人間に出会ってきた。

その中でも、自分の価値観を変えたり、成長させてくれたキッカケを与えてくれた人達がいる。

それは、ブラウン管を通して見る人、または、本の中でしか出会ったこともない人も一緒だ。

そんな様々な個性の言葉や、姿勢、生き様が今の自分を創っている。


自分はテレビや本に登場することは絶対ないだろうが、出会った人に対し、自分と出会ったことによって、「清水と知り合ってよかったな。」「なんかやる気になったカモ。」と思ってもらえるような人間になりたい。

自分と出会った人が、「前へ」足を踏み出す気分になるようなインスパイア・メーカーになりたい。



自分は銀行に就職する。

なぜ銀行に決めたのか?


企業は、存続し続け、成長することを考える。

そのために、資金を作り、事業を行い、また資金を作る・・・。

この流れで法人という名の人は、生きているのだ。


しかし、企業は、存続・成長するための情報(=経営方法、新規事業、提携・合併先)がなかったり、不足している。

情報・アイデアがあっても、資金がなかったりして存続・成長の機会が奪われてしまうのである。

要するに、企業のライフラインは情報と資金である。

自転車は前輪と後輪どちらか欠けたら、動かないのと一緒で、会社も情報と資金の両輪が無ければ前に進むことは出来ない。

そこで、情報と資金両面からコンサルティングし、決定的な処方箋を投与できるのが銀行だ。

ただのコンサルティング会社とは違う。

銀行は、情報と資金というライフラインを提供できる最高のコンサルティング会社なのだ。


バンカーは、優れた事業を考えた企業に資金を提供するのはもちろんのこと。

だが、そんな待ちの仕事だけしては、ただの御用聞きである。

真のバンカーは、存続・成長の滞った企業に対して、最高の情報を提供し、且つ最良のスキームでファイナンス(=融資、市場資金)を提供し、企業を活性化させなければいけない。

自分はそんな真のバンカーを目指したい。

目指すは、法人という名の人をインスパイアできるバンカー

まさに、自己実現目標と仕事での社会貢献目標が、インスパイアできる人間になること」という部分で、合致しているのだ。

自己実現と社会貢献の目標が、自転車の前輪と後輪で同じ方向に動いている。

だから、俺は折れない。



「インスパイアできる人間になる」

この軸がぶれない限り、自分は頑張れるし、「この志を貫く」という強い気概を持って、生きる。


「仕事楽しいよ!」


この言葉を口にする社会人はかっこいい。


最近、OB会などで、社会人の方々と接する機会が頻繁にある。

春から新社会人になる身としては、お会いした社会人の方々には、仕事の話を大抵聞く。

その際、かえって来る言葉の大半は、

「仕事?つまんねぇーよ。」

この言葉が圧倒的に多い。


そんな中、「つらいけど、やりがい感じてるよ!」「忙しいけど充実してるよ!」

ギラギラした目で、笑顔で応えられると、

「自分もこんな社会人になりたい!」と、インスパイアされる。

仕事でうまくいかないとき、つらいときは誰でもあると思う。

けど、その日々のビジネスシーンの中で、僅かなことでも喜びを感じれるような人間になりたい。

そして、どんなときでも楽しもうとする姿勢で生きたい。


最近思うが、ギラギラしている人は、どこにいってもギラギラしている気がする。

ギラギラ出来ないのを環境のせいにしたりする人もいるが、それは違う気がする。

物事に取り組む「姿勢」の問題だと思う。

なんでも楽しくするか、つまんなくするかは自分次第。


だから、社会に出て、うまくいかないときは環境のせいにしたくない。

言い訳せず、常に楽しもうとする姿勢、楽しみを見つけようとする姿勢で仕事に取り組みたい。

そうすれば、「仕事どうっすか?」と聞かれたときに、自然と、

「仕事?楽しいよ!」

って笑顔で応えられると思う。

そして、自分そのものが、誰かに対してインスパイアできる人間でありたい。


まだまだこれからだなー!!



「東大」。

さて、この漢字二文字に世の人は何を想像するだろう。

ガリ勉、メガネ、リュック片手持ち・・・・etc


実は、本日ウチの内定者である東大生と飲んだのである。

(人数内訳:明治3、東大3、慶応1)

初めて東大生と杯を交わすということで、待ち合わせ場所に向かう道中、色々な想像を張り巡らせる・・。

そして一番の心配は、

「はたして、話はかみ合うのだろうか。」

この一点。


しかし、実際会ってみると、もちろん容姿も普通の大学生で、想像していた「東大生」像とは程遠い!

なんとも楽しく、濃い時間を過ごすことができた・・!


東大生から、

・キャリア意識の高さ

・見識の広さ

・人間的な深さ

を感じることができた。


やっぱ東大生は、すげぇ!!


こんな凄い奴らと一緒に仕事できるなんて、本当に嬉しく思う。

そしてこれからの自分の課題は、「自分の色」を早く作るべきだと再認識。

無色透明は、当たり障りないが、おもしろくもなんともない。

自分色を出すには、東大生のように、たくさんの勉強、経験がやはり必要である。

のんびりしてはいられない。

ライブドアの堀江社長のブログにも本日掲載されていたが、今日の日経新聞の記事「大機小機」はひどい。

村上ファンドのことを「人間のにおいがしない」「ポッと出の組織」とズッタズッタに書いている。

日経新聞は、テレビ東京などグループ企業の買収からの防衛のために、「反」村上、楽天を決めたらしい。

確かに、最近の日経の記事(「会社とは何か」など)を読むと、「アンチ金儲け」の主張が鮮明にわかる。

しかし、週刊誌ならまだしも、公共性の高い、日本代表の経済紙が、こうもまぁ一方的な側に立って記事を書くとはいかがなものか。

そもそも会社は綺麗ごと抜きで、存続のために、「収益を上げること=金を作ること」を第一の目的に経営をしている。

だから、適正なルールの中で経営している会社に対して、「卑怯」「汚い」なんて言葉はご法度だろう。

金儲けを否定するなら、「じゃあ新聞一部も売れなかったら、君たち記者は、どうやって飯食うの?」って聴いてみたい。

最近の報道ステーションなどのテレビのニュース番組も発言がまじで終わってる。

メディアの人間は、自分たちのことを「公共性の高い会社なんだ!」と声高に叫んでいるが、だったら、自分たちに都合の良い論調を煽るような発言はやめてほしい。

それが、自分たちを公共性の高い会社と位置づける者の責任ではないだろうか。

自分の性格の一つに完璧を目指そうとするところがある。

しかし、その性格が裏目に出ることがある。

失敗が恐くなるのだ。

失敗を恐れるあまり、自分の殻を打ち破れないときがある。

失敗をすることによって失敗だとわかる。これは大きな前進ではなかろうか。

何もしないことが一番の失敗である。学ぶことは一つとしてないのだから。

たくさん失敗しよう。恥をかこう。

「失敗は成功の素」

使い古させた格言が、今自分の心と体を漲らせている。

いつか大きな花を咲かせるために。

野田聖子が、郵政民営化に賛成票を投じた。


野田聖子の当選の背景として、

1.郵政民営化に反対し、無所属として出馬。

2.選挙活動において、郵政民営化反対を岐阜市民に説き、支持を受け当選。


それにもかかわらず、翻意した。

その理由がおかしい。

「民意に応えるため」とのこと。

では、選挙戦で散々民営化反対を謳った「野田聖子」、その志に共感して、野田に票を入れた、

岐阜市民の「民意」はどこにいくのか。


世論の赴くままに票を入れるのなら、幼稚園児でも議員になれる。

政治家とはそうではないだろう。

政治家とは、政治に見識のある人間が、志を謳い、

これからの日本の行く末を議論、決定する国民の代表である。

民営化反対と謳って、市民の票を得た野田聖子は、民営化反対の国民代表であり、

その志を曲げるべきではない。

野田聖子は、民意に応えたのではなく、世論に応えただけだ。

票を投じた市民の民意を捨てた野田聖子は、政治家として失格である。

政治家が、野田聖子のようなイエスマン議員で溢れるとすれば、

まさに民主主義の崩壊であり、独裁政治である。


自民党から除籍されると支援団体の財布が厳しい云々は関係ない。

野田聖子は、志を曲げず、票を入れた岐阜市民の「民意」に応えるべきだ。










土曜。明早戦の日。

大学の諸先輩方と飲みまくる。諸先輩方と絡みまくる。

潰れる。

タキオに救ってもらう。


月曜。内定式の日。

内定者300人と飲みまくる。明治の意地を見せる。

潰れる。

見知らぬおっさんとアマダに救ってもらう。


なんて自分は温かい友人に囲まれたのだろう。

タキオ、アマダ本当にありがとう!これからも潰れたら4649!


そして、見知らぬおっさん!

俺が山の手車内で瀕死の状態だった時、

隣に座っていたのである。

俺のうざい絡みに付き合ってくれた上に、

タクシーでアマダに引き渡してくれた。

普通だったら、シカトかぶっ飛ばされるかどちらかだろう。

なんて世の中にはいい人がいるもんだ!

まじ捨てたもんじゃないよJAPAN。


人に冷たい自分も、人に温かくしようと思った今日この頃でした。





久々のブログ書き込みです。

こういうのやってるとホント自分はナマケモノだなぁーと思います。

まず相当の負荷がかかんないとやらない、ギリギリにならないとやらない・・・

けどあんま直す気ない(笑)


さて、最近思うところがあって、何が人生にとって幸せなのかと、

考えることがよくあります。

少し前までは、「自由」を得ることが幸せだと思ってました。

俺の考える自由とは、「何かを欲したとき、すぐ手に入ること」。

けれど、最近それは違うんじゃないかと思ってきました。

俺にとって、幸せとは、金持ちになることでもなければ、成功することでもない・・

では、何だろう?

きっと幸せとは、自分のやってきたことや人生に「誇り」を持てることだと思うんです。

一等賞にならなくてもいい。

全力で生きて、全力で頑張ったと。

それが「誇り」。

何を「誇り」に思うかは、人の価値観によって違うと思う。

だから、人の幸せに感じているもの、つまり「誇り」にしているものを

絶対に踏みにじってはいけない。

では、自分にとって、何が生涯の「誇り」になるんだろう。

それはまだわからない。

とにかく全力でやろう。



某会社社長のブログにとても共感できることばがのってました。



>先日ある雑誌の取材を受けていて、「成功する人はどんな人だと思いますか?」と聞かれ、こう答えました。


「それは、成功したいと思っている人じゃないですか・・」


自分の周りで話題になっている経営者や成功していると言われている人を見ていて、本当にそう思うのですが・・共通しているのは強い意志で「こうなりたい!」と思っていた人がそうなっている気がします。


逆に「なりたいと思っていなかったのに、またまた成功してしまった。」という人は殆どみたことがありません。


僕の持論では・・ 「人はなりたいと思っている以上の人になることはない」

仕事でも、スポーツでも一番になりたいと思っていなかった人が、一番になるということは、まずないでしょうし・・・

個人だけでなく、チームや会社でも同じだと思います。


(チームや会社の場合、そういう意味でヴィジョンを共有するということが大切なのでしょう)


なんとなく、あんな人のようになれたらいいなぁと思っている人と、明確に「なりたい!」と思っている人では、それだけで成功の確率が何百倍も違うような気がします。


また成功とは、人よりも優れるということだけでなく、なりたいと思う自分になれることが成功なのだとも思います。


なりたい自分があったら、なれるかどうかなんて考えないで、「なりたい!」と思うことが「なれる近道」なのだと思ってほしいです。


そして「なれたら」また次の「なりたい自分」と出会えるはずです。



(今もそう思って生きている者として・・・)