ミラノ滞在中のレオナルドは、年棒500ドゥカートでルドヴィコ・スフォルツァに仕えていた。当時のミラノでは建築に対するムーブメントが起こっていて、レオナルドは著名な建築家であるブラマンテやマルティーニ達と知り合い、彼らと共同の仕事もしていた。例えばミラノ大聖堂にどんなドームを作るべきか等、様々な議論が交わされていたという。
当時ヨーロッパでは都市化が進む一方で、ペストを初めとする疫病が流行していたこともあって、レオナルドは衛生的な都市計画を立てて、ミラノの都市拡張のアイディアや2つの川を結ぶ運河のプランも考えていた。
デッサンには、雨に濡れない歩行者用のアーケードや、水路、道路、歩道を整然と整備した立体的な街づくり、上下水道の完備などが描かれ、現代の都市計画にも通じるコメントが書かれている。

パリ手稿B 16r 理想都市
街路Nは街路PSより6ブラッチャ高い。
各街路は幅員20ブラッチャ、両側から真ん中に向かって半ブラッチャの勾配をもたねばならぬ。
そしてその真ん中には1ブラッチャごとに幅1ディートで1ブラッチャの穴があり、雨水はPSと等しい平面に作られた下水道に流し込まねばならない。
この街路の両側には列柱を建てて幅6ブラッチャのポルティコをこしらえるべきである。
上道を通って町中を歩き回りたいと思う人は好きなようにこれを利用できるし、下道を歩こうという人もまた同様だということを承知しておいていただきたい。
車馬その他は上道通行禁止だ、それはもっぱら紳士用にする。下道は馬車荷車その他人民の便宜に従って通行して差し支えない。
家は次の家と背中合わせで、半分だけ下道からはなれていなくてはならず、材木、酒等の貨物は家族の手で持ち込まれる。地下道からは便所、厩肥等の汚物を流しだすべきだ。
アーチとアーチとのあいだは300ブラッチャなくてはならぬ。すなわち「上道の下にあって、上道の隙間から明かりを受ける道路は(300ブラッチャごとに側壁に大きなアーチ型の穴をあけねばならぬ。)
そして四辻の角で小便するように各アーチには広くて丸い蝸牛状の階段がなければならぬ。それは第一に公衆大便所に通ずる戸のところに出る。
上道から下道へ降りるのも階段による。そして上道は扉の外にはじまるが、その扉のところに上りつくと、6ブラッチャの高さにでたことになる。
この町は海とかその他大河の付近に建設すべきである、都市の汚物が水によって運び去られるように。
*1ブラッチャ=約60cm

理想都市の再現模型
こちらはミラノの国立レオナルド・ダ・ヴィンチ科学博物館に展示されている、理想都市の再現模型。中央にこのデッサンの建物がある。