パリ手稿B_空気ねじ(ヘリコプター) | レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの活躍を紹介していきます。

レオナルド・ダ・ヴィンチのパリ手稿(1487~1490年)に描かれた最も有名なスケッチが、この「空気ねじ」だ。ヘリコプターの祖先として知られるこのスケッチは、レオナルドがミラノに居た頃(35~38歳)に描かれている。

$レオナルド・ダ・ヴィンチのノート-パリ手稿B_表紙
パリ手稿B


もともとは古くからある玩具(コマのようにひもで回転させて空を飛ばす竹トンボのようなもの)の原理を使って、人力で空を飛ぼうという計画である。
このデッサンの価値は、おそらく人類史上初めて人力による機械を使って空を飛ぼうというアイディアが、紙に明確に記されていることだと思う。


レオナルド・ダ・ヴィンチのノート-パリ手稿B_空気ねじ
パリ手稿B_f.83v 空気ねじ(ヘリコプター)


らせん型のスケッチの周辺には、この回転する翼が空気にねじ込まれて行く過程など、様々なメモ書きがある。

「らせん軸には頑丈な鉄線を使用すること」

「直径は8ブラッチャ(約4.6m)」

「スクリューには空気を通さないように、表面にでんぷんを塗った布を張ること」

「軽くするために、長くて丈夫な葦の茎を使う」

「紙の模型を作って動作実験をすること」


下部には4本のハンドルが描かれていることから、4人でこの空気ねじを回転させようとレオナルドは考えていたと思われるが、実際には人力では飛ぶことは出来なかった。模型を作れと書いていることから、何らかの実験は行っているはずだが、もしこの勢いで回転したら乗組員は遠心力であっという間に吹き飛ばされてしまっただろう。もしかすると人間は地上に残して、回転する本体だけを飛ばそうという考えだったのかも知れない。

結局ヘリコプターによる飛行の成功は、400年以上後の1907年まで待たねばならない。
フランスのモーリス・レジェ、ルイ・ブレゲー、ポール・コルニュらがホバリングに成功した後、1937年にベルリンでハインリッヒ・フォッケが開発したFocke-Wulf Fw61が実用化に成功。

トーマス・エジソンも燃焼の反動を利用したヘリコプターを研究しているが、爆発事故が発生して研究を打ち切っている。

ちなみに「ヘリコプター」の名前はギリシャ語の螺旋 (helico-) と翼 (pteron) に由来しているので、これを「ヘリコプター」と読んでしまっても良いと思う。