この手稿は184紙葉で、レオナルドがミラノにいた1493~1500年頃に書かれたもので、当時41~48歳だったレオナルドは最後の晩餐やスフォルツァ騎馬像の制作を行っていた(フォリオ1vには1493年1月1日の日付が書かれている)。1499年にはフランス軍によってミラノが占領され、スフォルツァ騎馬像の原型も破壊されてしまう。1500年にはミラノからマントヴァを経てヴェネツィアに引越している。

マドリッド手稿Ⅰf.6r
中央の円は地球を表しており、アジア大陸とアフリカ大陸の図が描かれている。大地の水圏、そして地球全体の重心について説明するために描かれた図であるが、そこにはまだアメリカ大陸は存在しない。コロンブスがエラトステネスやトスカネッリの地球球体説を信じて新大陸に到着したのが1492年だから、当時の進んだ知識人達は地球は丸いものとして認識していたらしい。ちなみにトスカネッリとレオナルドは知り合いだったことが分かっている。