地球の中心~マドリッド手稿Ⅰf.6r | レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの活躍を紹介していきます。

読者よ。もし私に関心を持つなら私のノートを読みたまえ。私のような人間は極めて稀にしか生まれてこなかったのだから。というものこういう新しいものを新たに自分で創ろうと望む少数の者のみがこのような研究を持続する忍耐力を保持し続けることができるからだ。おお、人々よ、このような研究によって、自然の内奥に発見される様々な奇跡を見にきたまえ。~で始まるマドリッド手稿Ⅰのフォリオ6r。ここには自然科学者としてのレオナルド・ダ・ヴィンチのスタンスが明確に記されている。
この手稿は184紙葉で、レオナルドがミラノにいた1493~1500年頃に書かれたもので、当時41~48歳だったレオナルドは最後の晩餐やスフォルツァ騎馬像の制作を行っていた(フォリオ1vには1493年1月1日の日付が書かれている)。1499年にはフランス軍によってミラノが占領され、スフォルツァ騎馬像の原型も破壊されてしまう。1500年にはミラノからマントヴァを経てヴェネツィアに引越している。

レオナルド・ダ・ヴィンチのノート-マドリッド手稿Ⅰf.6r
マドリッド手稿Ⅰf.6r

中央の円は地球を表しており、アジア大陸とアフリカ大陸の図が描かれている。大地の水圏、そして地球全体の重心について説明するために描かれた図であるが、そこにはまだアメリカ大陸は存在しない。コロンブスエラトステネストスカネッリの地球球体説を信じて新大陸に到着したのが1492年だから、当時の進んだ知識人達は地球は丸いものとして認識していたらしい。ちなみにトスカネッリとレオナルドは知り合いだったことが分かっている。