東京から千葉へ行くのに各駅停車しかなかったあの頃 | 脳出血、重度の左片麻痺からの「めざせ!社会復帰」

脳出血、重度の左片麻痺からの「めざせ!社会復帰」

2020年3月に脳出血を発症し左片マヒに。リハビリとスピワークを通して、全快復を目指すおじさんの手記。併せて半生を振り返る半生記をエッセイ風に綴っています。

 

こんにちは、デイヴですニコニコ

ご訪問ありがとうございます<(_ _)>

2020年3月半ばに脳出血を発症。

左片麻痺の後遺症があるも、リハビリに勤しみながら

五体満足の身体に戻すべく奮闘中💪

 

日々の暮らしの中で起きた小さな出来事や

半年間の入院中のエピソード、

自分の歩んできた半生、

好きな鉄道ネタを気ままに綴っています照れ

よろしくお願いしますおねがい

画像はネットからお借りしていますm(__)m

半世紀以上も前の、まだ幼稚園に通う前のことです。

伯父の結婚式に出席するため、

両親や親戚の大伯父さんと千葉へ行ったことがあります。

開通後、数年経った東海道新幹線『ひかり』に乗って、一路東京へ。

最初は珍しかった新幹線も、

あまりのスピードで景色が飛んでいくからか、

車窓を眺めるにも飽きてしまい、

東京までの時間をかなり持て余した記憶があります。

 

東京駅に着くと、在来線に乗り換えて千葉へむかいます。

山手線に乗って2駅先の秋葉原で総武線に乗り換え。

 

秋葉原駅は、当時も今も総武線と山手線・京浜東北線が

立体交差している構造。

階段を上って、総武線のホームにたどり着くと、

まもなくカナリアイエローの総武線電車がやってきました。

 

 

見た目の形は同じですけど、大阪環状線のオレンジ色の

電車に見慣れたせいか、初めて見る

イエロー色の電車は、とても新鮮に思えました。

今、総武線各駅停車の電車は

銀色のステンレス車になっていて、

ボディにイエローラインのフィルムが貼られています。

 

今は「総武線各駅停車」と言いますけど、

当時は単に「総武線」。

そう。

まだ「総武快速線」なる線路は敷かれておらず、

千葉まで延々と全部の駅に停まっていたんです😅

秋葉原から千葉まではおそらく1時間以上はかかっていたでしょう。

それでも道中、駅に停まるごとにドアが開いて多くの人が乗り降りし、

スピードもさほど出ず、景色がじっくり楽しめたのか、

新幹線ほどには飽きなかったように思います。

 

総武線はその後、線路がどんどん増設されて「総武快速線」ができあがり、

各駅停車と快速電車が別々の線路を走るようになったのは、

このときから12〜13年後、1980年代初頭でした。

これで一気に東京から千葉まで

行きやすくなりました。

 

今や京葉線もありますから

隔世の感あり、です。

 

古いアルバムをめくると当時の写真が貼られていて、

『ひかり』号車内で退屈そうにしている自分の姿を

認めると何とも小っ恥ずかしい🫣

 

帰阪途上で立ち寄った皇居や二重橋の写真もありますが、

そんな記憶は一切なく。

 

よほど興味が無かったのでしょう🤣

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