パタパタ表示器の衝撃 | 脳出血、重度の左片麻痺からの「めざせ!社会復帰」

脳出血、重度の左片麻痺からの「めざせ!社会復帰」

2020年3月に脳出血を発症し左片マヒに。リハビリとスピワークを通して、全快復を目指すおじさんの手記。併せて半生を振り返る半生記をエッセイ風に綴っています。

こんにちは、デイヴです。

戦後初めての万国博覧会

いわゆる大阪万博が開催された1970年は、

小学校に進学した年でした。

この年は、それまで上本町がターミナルだった近鉄電車が、

上本町から難波まで地下線の近鉄難波線が開通し、

奈良線の電車が直接乗り入れるようになりました。

南海電車のなんば駅から地下道をテクテク歩いて、

長いエスカレーターで地下深く下ったところに設けられた

新しいターミナル。

ホームが2面で、線路は3本。

1番線は近鉄特急の専用発車ホームで、

2番線は奈良線の電車発車ホーム。

3番線は難波行きの電車の到着ホームで、降車専用となっていました。

狭い駅構内を、3番線にはどんどん電車が到着して多くの乗客を吐き出し、

2番線からはひっきりなしに奈良線の電車が次々と発車していく、

そして毎時ちょうどになるとビスタカーはじめ近鉄特急が

ゆっくりとホームを離れていく。

初めて駅頭に立ったとき、

限られたスペースを有効活用した運行内容に、

子どもながら感嘆してその光景を見つめていました。

ちなみに近鉄難波駅は、2000年代になってから

西九条から伸びてきた阪神電車と繋がり、

駅名を「大阪難波」駅に変えて、

お互いの電車が相互に行き交う一大ターミナルになっています。

降車専用だった3番線は、

現在は尼崎・神戸三宮方面行きのホームとなり、

阪神電車を利用する人の乗車ホームになっています。

さて近鉄難波駅開業の頃に話を戻します。

 

奈良線沿線の瓢箪山(ひょうたんやま)に在住の親戚宅を訪ねるべく、

開業して間もない近鉄難波駅のホームに立ちました。

そのホームで、とんでもないものを見つけました。

それは反転フラップ式の発車案内表示器というものです。

画像はネットからお借りしました。以下同じ

素人的な表現だと「パタパタ」というヤツで、

電車が発車していくと「パタパタパタ…」と、

文字が印刷された薄い金属板が反転し、

次の列車の種別や行先、発車時刻などが表示されます。

下画像のような動きをします。

 

 

 


ひところは空港で旅客機の発着案内にも広く使われていました。

初めて見たパタパタは、子どもの目にはとても先進的で、

機械的な動きが興をそそり、見ていて飽きないものでした。

数年後には国鉄(現JR)大阪駅の発車案内表示器にも

このパタパタが設置され、列車が発車していくたびに、

中央改札口の壁面いっぱいに備え付けられた表示器が

「パタパタパタ…」と一斉に反転して

次の列車を示していくさまは壮観。

デイヴご用達の南海電車・なんば駅の巨大な発車案内表示器も

反転フラップ式でした

(今は液晶ディスプレイに置き換えられています)。

板が反転するたびに、

珍しい行先やふだんは見られない列車名なども一瞬表示され、

それがとても面白く、一心に動きを見つめたものです。

当時、小さな駅や私鉄などでは種別や行先をビニルシートに印刷し、

それを巻き取ったロールを回転させて表示させる幕式(上の写真)表示器が主流でしたが、

新幹線の駅やホームでも反転フラップ式の表示器が据えられて

一時は全盛を誇り、

世の中の発車案内表示器はすべてこれに変わっていくのかさえ感じられたほど。

 

 

ところが1970年代終わりごろ、

発光ダイオード(LED)を使ったディスプレイが街中に見られるようになると、

国鉄大阪駅の発車案内表示器が反転フラップ式からLED式に取り替えられ、

新時代を予感させます。

当時のLEDは、赤・緑・橙の3種類しかなく、表示方法に限界を感じたものですが、

1990年代終わり頃に世界初の青色LEDが開発されてからは、

フルカラーディスプレイが実現、

瞬く間にLED式の表示器が世の中を席巻することに。

反転フラップ式の案内表示器は急速にLED式に置き換えられました。


今はLED式や、液晶ディスプレイによる表示器が主流ですが、

昭和50年代に至るところで見られた反転フラップ式案内表示器は、

レトロな香りを醸しつつも、あのメカニカルな動きに

今も胸踊るものがあります。