こんにちは、デイヴです。
今日は大阪の鉄道にまつわるネタ。
小学生の頃、母方の祖父母が
阪急宝塚線の石橋(今は「石橋阪大前」駅に改名)に住んでおり、
電車に乗ってしょっちゅう遊びに行ってました。
阪急梅田駅から宝塚線の急行に乗るのが定番。
梅田を出発した急行は、淀川を渡って
京都や神戸方面の一大ジャンクション、
十三(じゅうそう)駅に停まり、
神戸線や京都線からの乗り継ぎ客を乗せると、
次の停車駅が石橋(今は3駅手前の豊中から各駅停車)。
梅田から20分そこそこの行程で、今も昔も便利なロケーションです。
十三の次が「三国(みくに)」という駅。
シンガーのaikoがこの駅をモチーフに歌っています。
ここ三国は大阪市北部の、町工場や住宅が集まる下町。
各停しか停まらない小さな駅ですが、
梅田ターミナルに近いので、
当時からホームにはたくさんの人が電車を待っていました。
⬇️当時の三国駅。写真はネットからお借りしました。
この三国駅。
改札口に近い北側に急カーブがあって、速度制限にかかるので、
急行とはいえ電車はスピードを落とし、
自転車並みのスピードで通過します。
⬇️当時の動画です。
さらに急カーブをクリアした宝塚方には、
神崎川をまたぐ鉄橋があって、
ここもカーブのからみで超徐行でゆっくりと渡っていました。
で、この神崎川。
当時、おそろしく悪臭漂っている川なのでした
おそらく日本で「めっちゃ汚れている河川」の
ワーストランキングに入っていたでしょう。
⬇️今の神崎川。当時よりキレイになったものの、今もニオイが残っているそう。
悪臭、というか「腐臭」ですね💦
海の干満の影響でもともと水流が緩く、
昭和30〜40年代の人口の急増で、
下水処理が追いつかなかったのでしょう、
生活排水がことごとくこの川に垂れ流され、
流れの緩い神崎川はたちまち汚れ、
ヘドロが川底に溜まったのでしょう。
低速の電車がこの川を渡ると、
水面に腐臭を蓄えた泡がゴポゴポ浮きあがるのが見え、
えもいわれぬニオイがどこからともなく
車内に入り込んできます。
窓を締め切っていても、
ドアの隙間や天井の換気口からしつこく入ってきて、
車内をセピア色に染め上げるように漂います。
当時はまだ冷房車も珍しかった時代、
夏場だと窓を全開したまま神崎川を渡るわけですから
たまったもんじゃない。
おじさんやご婦人は顔をしかめ、
ハンカチで口元を押さえて、
拷問にも似た渡橋に耐えていました。
僕もえづきそうになるのをこらえて
数分間の『ニオイ洗礼』に耐えていたのを思い出します。
当時から阪急電車はセレブな雰囲気がありましたから、
突然、奈落に落とされたかのようなこのド悪臭の洗礼に、
子ども心に大いなる落差と矛盾を感じたものでした。
時代が下って、1990年代に三国駅周辺の改良工事が行われ、
改札口近くの急カーブは解消し、下水処理も整備されたようで、
川の汚れはいくぶん改善しました。
⬇️黄色マーカーが改良前の旧ルート、赤マーカーが改良後のルート。
前後の区間は高架化され、三国駅は瀟洒な高架駅に一新。
急カーブが全体に緩いカーブに生まれ変わったので、
急行などは90〜100km/hのスピードで
改良前よりはるか上空の線路を滑るように神崎川を渡っていきます。
あの、鼻がひん曲がりそうだった神崎川の悪臭も、
今となっては超徐行で渡橋する阪急電車とともに、
不思議なことになんだか懐かしい思い出になっているのでした。