脳出血、重度の左片麻痺からの「めざせ!社会復帰」

脳出血、重度の左片麻痺からの「めざせ!社会復帰」

2020年3月に脳出血を発症し左片マヒに。リハビリとスピワークを通して、全快復を目指すおじさんの手記。併せて半生を振り返る半生記をエッセイ風に綴っています。

こんにちは、デイヴです。

2020年3月半ばに脳出血を発症。

約半年間の入院生活で経験した
さまざまなできごとを回想録として綴っています。

 


急性期病棟から回復期病棟に移動して数日が経過。

単に同じ建物の4階から3階に下りただけなのに、

病棟ごとに、というか階ごとにローカルルールがあることに気づきました。


まずは食事。

急性期病棟にいるときは、病床(ベッド)で摂るのがスタンダード。

ナースステーション前の食堂を兼ねた多目的エリアで摂る患者もいましたが、

特に違和感なく過ごしました。

で、下階の回復期病棟に移ると、

「ここは食事はみんなで摂ることになってるので」

ということで、毎食とも多目的エリアに行かされるようになりました。

急性期ではあまり患者を動かさない方が良い、という配慮があるのかな、

とも思いましたが、実際には多目的エリアに移動して食事をしている患者がいましたし、

そのうち、隔離されているような印象が出てきて、淋しさも覚えたので、

回復期病棟では原則として多目的エリアで食事するルールに、

一瞬は安堵。

しかし。

それでも、個別に病床で食事を摂る患者もいるのです。

決して寝たきりではなく、歩行などは僕よりもスムーズ。

なのに病床での食事が認められる。

なんとなく不公平感を持ちました。


結局、どうして例外が認められるのかは不明なままですが、

ひょっとしたら

「集合して食事したくない!」

と駄々をこねれば、認められるのか⁉︎

と思ったり😅


次にトイレの利用ルールでも混乱。

車椅子が入れる個室は数が少なくて、

毎度取り合いになっていました。

トイレには「使用中」と手書きされた紐付きの木札があって、

トイレに入るときは鍵を閉め、

この木札を、扉の取っ手に掛けるルールでしたが、

認知症の高齢患者がこのルールを守れるはずもなく、

鍵を閉めずに、かつ木札を掛けないまま

用を足している患者もいて、

僕も何度か誤って開けたことがありました。

そのたびに

「ごめんなさいっ🙇‍♂️」

と平謝りするのですが、そのたびに

ルール通りにしていないのはあっちのほうで、

「なんでこっちが謝らなけりゃならんのだ⁉︎😡」

とひとりふくれていたことです(苦笑)。

急性期病棟では、認知症の高齢患者でも

決して失敗しないルールが適用されていたのですがね。

後日、仲良くなった同じ脳卒中サバイバー患者のIさんが、

回復期病棟のトイレルールを、

急性期病棟のそれと合わせたほうが良いんじゃないか、

と看護師長に問うたものの、

あっさりとスルーされてしまったとか😅


なにがしかの力関係でもあるのでしょうか。


病棟ごとに異なるルールがまかり通る中で、

いろんな病棟を渡り歩く患者にとっては、

いちいち混乱して

めんどくせー💢

と思ったことです。





こんにちは、デイヴです。

スムーズな歩行スタイルを取り戻すため、足首の痙縮解除に取り組んで久しいのですが、

イマイチ状況が好転しません。

 

以前、ふくらはぎを構成するヒラメ筋のストレッチについて書きましたが、、、

なんだか違うような気がする……😰

で、昨日、たまたまこんな動画を発見‼︎😮


あれれ? ひょっとして伸ばさないといけないのは

ヒラメ筋じゃなくて腓腹筋なわけ⁉︎😳


今までやってきたことって、逆だったのかも😅

ということで、今しばらくは

腓腹筋を意識したストレッチに励んでみます。


こんにちは、デイヴです。

2020年3月半ばに脳出血を発症。

約半年間の入院生活で経験した
さまざまなできごとを回想録として綴っています。


急性期病棟に収容されていた約1週間。

病室に巡回してくる看護師さんの中に、

中国出身の女性看護師さんが2人いました。

2人ともとても明るく、

ホスピタリティもバッチリ。

日本語はたどたどしいものの、

しっかりと聞き取れます。

うち、四川出身だという1人は、

朝のバイタルチェックはじめ、食事の配膳や

ベッドメイクなど、

とにかく献身的。

コンビニではパート・アルバイトの中国人は珍しくないのですが、

中国人ナースは初めて。

中国で看護師資格を取った人は、

日本の病院で働きたい意欲が高いのかもしれません。

「中国人は無愛想でザツ」という先入観があったものの、

申し訳ないくらい優しくて

ホスピタリティ精神にあふれ、

実に献身的に患者に接してくれる。

その姿を見て、涙が出てくるくらいでした。

入院していた病院は、総じて医療スタッフの人当たりは優しかったものの、

中には「塩対応」する看護師もいたので、

爪の垢でも煎じて飲んで欲しいくらいです🕶️


他方、もう1人の中国人ナースは、

確か上海郊外の出身で、

やはり明るくて親切な人でした。


彼女に入浴を介助してもらった折に、世間話で母国の話が出てきました。

折しも香港での民主化運動が徹底的に弾圧されていた頃で、

彼女は中国本土の人間、と断りながらも、

素直な気持ちを主張できない、

若い世代に強力な圧力をかける香港政府の政治運営に

「大きな疑問をもっている」

ということでした。


2人の看護師とも、生粋の中国人ですが、

日本での仕事や生活が板についているようで、

彼女たちのスピリットも

日本人以上に日本人、

という印象的を受け、

「郷に入っては郷に従え」

を地でいく心持ちなんだなぁ、

と深く感じ入ったことです。



こんにちは、デイヴです。

2020年3月半ばに脳出血を発症。

約半年間の入院生活で経験した
さまざまなできごとを回想録として綴っています。


「デイヴさん、そろそろ回復期病棟に移動しますよ」

2020年3月の終わりごろ、

看護師からそう告げられました。

3月15日に緊急搬送されてから約1週間。

術後の経過も良く、嚥下障害や言語障害などの後遺症も

あまり見られない、と診断されたようで、

回復期病棟の患者が1人退院するのを機に、

玉突きで回復期病棟に移動するのだとか。

僕の病床は既に集中治療室(SCU)で待機中の患者がいるらしく、

そうやって入院患者をどんどん玉突き移動させて

回転率をよくする。

『良き病院経営のメソッド』を改めて知りました😅


僕が移動する数日前に、先住の男性患者が先に回復期病棟に移動していきました。

この患者さんとは後に同じ日に退院する「入院同志」となります。


かくして3月30日(月)、急性期病棟から回復期病棟に移動。

病棟違いとはいえ建物は同じで、

4階から3階に下りるだけ。

緊急搬送時に収容されたSCUは2階。

その後、4階の急性期病棟に移り、

今度は3階の回復期病棟。

病棟移動は同じ建物の縦移動でした。

折しも3階にはリハビリ室もあるので、

リハビリ時の移動も容易。

回復期の患者には好都合です。

同年8月29日の退院までの約5か月間、

こちらの病棟でお世話になることになりました。


こんにちは、デイヴです。

2020年3月半ばに脳出血を発症。

約半年間の入院生活で経験した
さまざまなできごとを回想録として綴っています。


入院中の入浴は週2回。

急性期病棟収容時から回復期病棟に移動してしばらくは

車椅子での移動しかできなかったことから、

「入浴ってどうするんだろう?」

と疑問に思っていました。

たとえば高齢者の入浴介助で、

2人がかりで浴槽に移動させる映像を見たことがありますが、

そこまで潤沢に介護スタッフがいるわけでもない。


急性期病棟に移動して最初の入浴の番が回ってきて、

担当看護師が迎えにきました。

ベッドから車椅子に移乗し、廊下を経由して

浴室へ向かいます。

浴室前の脱衣場に入ったとたん、

下にコロが付いた巨大な装置が目に入りました。

傍らには、これも車椅子のような座椅子があります。


いわゆるこれが介護用の入浴装置でした。

https://www.og-wellness.jp/product/care/hk3800


座椅子を『搬送車』と言うんですね。

看護師見守り下で車椅子から搬送車に移乗。

いったん洗い場で身体を洗い、洗髪後、

搬送車に乗ったまま入浴機器の尾部にドッキング。

始動ボタンを押すと、吐出口から給湯されます。

ものの2〜3分で肩口までお湯が溜まりました。

季節はまだ春で時間帯によっては肌寒く感じますから、

満水の浴槽に浸かること、実に快適!


こうした入浴用の機器を使って入浴することを

『機械浴』と称することを後になって知りました。

搬送車に乗って機器にドッキングするさまは、

あたかも『機動戦士ガンダム』的な様相(苦笑)

「アムロ、行きまーす!」バリの機械浴でした😅