脳出血、重度の左片麻痺からの「めざせ!社会復帰」 -2ページ目

脳出血、重度の左片麻痺からの「めざせ!社会復帰」

2020年3月に脳出血を発症し左片マヒに。リハビリとスピワークを通して、全快復を目指すおじさんの手記。併せて半生を振り返る半生記をエッセイ風に綴っています。

こんにちは、デイヴです。

2020年3月半ばに脳出血を発症。

約半年間の入院生活で経験した
さまざまなできごとを回想録として綴っています。


入院中の入浴は週2回。

急性期病棟収容時から回復期病棟に移動してしばらくは

車椅子での移動しかできなかったことから、

「入浴ってどうするんだろう?」

と疑問に思っていました。

たとえば高齢者の入浴介助で、

2人がかりで浴槽に移動させる映像を見たことがありますが、

そこまで潤沢に介護スタッフがいるわけでもない。


急性期病棟に移動して最初の入浴の番が回ってきて、

担当看護師が迎えにきました。

ベッドから車椅子に移乗し、廊下を経由して

浴室へ向かいます。

浴室前の脱衣場に入ったとたん、

下にコロが付いた巨大な装置が目に入りました。

傍らには、これも車椅子のような座椅子があります。


いわゆるこれが介護用の入浴装置でした。

https://www.og-wellness.jp/product/care/hk3800


座椅子を『搬送車』と言うんですね。

看護師見守り下で車椅子から搬送車に移乗。

いったん洗い場で身体を洗い、洗髪後、

搬送車に乗ったまま入浴機器の尾部にドッキング。

始動ボタンを押すと、吐出口から給湯されます。

ものの2〜3分で肩口までお湯が溜まりました。

季節はまだ春で時間帯によっては肌寒く感じますから、

満水の浴槽に浸かること、実に快適!


こうした入浴用の機器を使って入浴することを

『機械浴』と称することを後になって知りました。

搬送車に乗って機器にドッキングするさまは、

あたかも『機動戦士ガンダム』的な様相(苦笑)

「アムロ、行きまーす!」バリの機械浴でした😅


こんにちは、デイヴです。


 2020年3月半ばに脳出血を発症。

約半年間の入院生活で経験した
さまざまなできごとを回想録として綴っています。

2020年3月終わり頃に集中治療室から急性期病棟に移動。

病室は4〜5人がいましたが、

どうやら高齢者ばかりで、

大半が認知症の患者だった印象です。


朝、起床すると宿直の看護師が巡回して、

体温・血中酸素濃度と血圧測定のバイタルチェック。

10日ごとに採血があり、これは退院まで続きました。

その後、テレビカードでNHKの朝ドラを視聴。

この時は『エール』とBSの再放送枠で

ヒロインを、若き頃の斉藤由貴が務めた『はね駒(こんま)』が

放送されていました。

さてこの頃の楽しみは、食事🍚



ナースステーション前に50〜60席ほどのルームがあり、

日中はここで見舞い者と患者が面会したり(もっとも

当時は新型コロナ禍で緊急事態宣言が出ようとしていた

ので、見舞いの来訪は禁止されてました)、

朝昼夕の食事をする食堂として使用していました。


僕の場合、どういう理由かわかりませんが、

食事は病床で摂っていて、

時間になると担当看護師が配膳に訪れます。

日中はリハビリのコマがある以外は、

何もすることがなく、自宅から持ってきたiPadで

コンテンツを閲覧する程度。

食間に何かを口にするわけでもないですから、

食事どきが近づくと空腹でお腹が鳴り出していました。

このころの献立は、すっかり普通食になっていて、

ペースト状の嚥下食を見ることはなかったのですが、

汁物やお茶には引き続き『とろみ剤』を配合して

誤嚥防止を図っていました。


食間は何も摂っていないので、

どんな献立もすべてが美味しく感じられ、

毎食とも完食。

食事に関してはまったく手がかからない、

“優秀な患者”だったと思います(笑)

こんにちは、デイヴです。


 2020年3月半ばに脳出血を発症。

約半年間の入院生活で経験した
さまざまなできごとを回想録として綴っています。


今日は車椅子に関するエトセトラ。

 

左片麻痺になって体幹をすっかり失った身体。

入院中は長期にわたり車椅子のお世話になりました。

とはいえ、座っていても安定しない。

垂直に、まっすぐに座れないのです。

無意識に座ると、重心が左右に振り分けられず、

いつのまにか麻痺の左半身が左方に流れ、

姿勢が崩れていきます。


その状態で車椅子に座っても、

左半身がはみ出してズレ落ち、

車椅子ごと転倒しかねません😱

そこで入院当初は、身体のズレ落ちを防ぐために

安全ベルト必着でした。

わざわざ看護師や介助者の助けを借りての

ベルトの着脱がなんとももどかしく感じたものです。

それでも徐々に姿勢が改善し、

1か月ほどで卒業することができました。


当初、車椅子の操作は介助者任せでした。

で、セラピストの指導のもと、自力で廊下を移動したり

エレベーターに乗る訓練をしました。


当初はエレベーターに乗る際、

開いたドアの左下にタイヤが引っかかって

カゴにスムーズに乗れません😓


左片麻痺になると、左眼の視界も一時的に支障が出るんですね。

実際はドアの左に車輪が引っかかって邪魔しているのに、

その支障物が視えない😢


しょっちゅう車椅子の左側をぶつけていました。


これも徐々に通常の視野角まで視界が回復し、

車椅子の操作がスムーズになったことです。


左片麻痺の影響がいろんな場面で顕在化し、

少々驚いたデイヴでした。

こんにちは、デイヴです。


 2020年3月半ばに脳出血を発症。

約半年間の入院生活で経験した
さまざまなできごとを回想録として綴っています。

マイ・ヴォクシーの手放し・売却話で一時中断しましたが、

今日は復活の一席。



脳出血を発症して緊急手術後、集中治療室(SCU)で過ごすこと約2週間。

その後、急性期患者向けの一般病棟に移ります。


この時に苦労したのが排尿。

片麻痺で身体の自由が効かず、トイレに行くにも

車椅子に移乗しなければなりません。

ベッドから車椅子への移乗は転倒リスクがあるため、

看護師の見守り下で行います。

その都度、ナースコールするのですが、

当直の看護師の手が足らず、コールしてもまず10分以上は待たされます。

やっと看護師がやってきて車椅子でトイレに向かうも、

得てして『使用中』の札が掛かっていたり……💦


特に朝6時の起床時は、トイレのラッシュアワー。

個室がなかなか『空』になりません。

時には『故障中』の札も😵

聞けば、認知症を患っている高齢患者が紙パンツをトイレに流して

詰まらせてしまったとか😅


そんなある朝、看護師に連れられてトイレへ。

用を済ませ、移乗のためナースコールしようと

腰を少し右にずらした瞬間、

便座横のパイプ柵の間からすっぽ抜けるように、

下半身が斜め前に押し出されました。

当時は体幹がほぼ失われている状態。

バランスが取れない身体はそのままスローモーションのように

床に投げ出されました😱


なんとか起きあがろうと

体勢の立て直しを試みるも

ただ単にもがくのみ。


コールが遅いことに心配し、

様子を見にきた看護師に発見されてことなきを得ましたが。


入院中の患者が転倒することに医療スタッフは常にハラハラ😓

転倒時に打ちどころが悪いと大変なことになりますからね。

担当している患者が転倒すると、始末書まではいかないものの、

状況を説明する書面は書かねばならないようでした。


その後もベッドから滑って臀部から落下したりもしましたが、

幸いなことに転倒で大きなケガをすることはありませんでした。

当初は見守りが必要だった車椅子への移乗も、

1か月後には見守りから解放されていつでもトイレに行けるようになり

ホッとしたことを覚えています。








こんにちは、デイヴです。


今日は潜在意識と顕在意識のコントラストを感じ、

新たな気づきを得た話です。

 


長年(17年)連れ添ってきたマイ・ヴォクシーから卒業しました。



新車でわが家に迎えたのが、今を去ること2007年7月。

ふだんは買い物等で毎週末に街走り。

2011年7月に、震災の経済復興に貢献するべく、

埼玉から仙台、松島、女川へ遠征。

毎年の盆と正月には

埼玉の自宅と実家のある大阪を往復。

ある夏の帰省時は、

わが家ファミリーに加え両親と共に瀬戸大橋を介して

四国に上陸し、徳島−香川−松山・道後温泉を周回。

その頃は家人も元気でしたし、息子たちも中学・高校生で育ち盛りで、

わが家の“旬”を迎えている時期。

わが家の最上の歴史は、ヴォクシーと共にありました。



思い入れのある車だけに、今回の車検期限を迎えても、

引き続き車検を通して、所有し続けるつもりだったんです。

少々ガタが来ていても気にはしていませんでした。

それが。

まさかの手放し勧告を受け、

この1週間で、慌ただしく売却の手続き。

結果、

自宅駐車場はもぬけの殻となって、

心なしか寂しくなりました。


なんで⁉︎

何が起きたんだろう⁉︎

これが率直なところです。

以前も書きましたが、

片麻痺を克服する一つの取り組みとして、

「潜在意識を活用する」ことを思い立ち、

ひょんなことで繋がったトレーナーから

手ほどきを受けています。

心理学では

脳内の意識の95%以上を

潜在意識が占めていて、

顕在意識はわずか5%以下、

と説明されています。

なので、目の前に起きる現象は

そのすべてが潜在意識下で刷り込まれて

意識したことが現実化している

とされています。

いくら「がんばなけりゃ!」と、

たった5パーセントに満たない顕在意識下で

思考したり行動することは、

意味がないわけじゃないですが、

自分がほしい結果を得るまでに

ずいぶんな遠回りをしますし、

場合によっては結果が変質しちゃうそうです。

そこで、

潜在意識に対してあらゆるブロックを外すと、

現実が変わってくると言います。

「ホンマかいな🧐」

と聞く人にとってはマユツバものの

神秘的かつアヤシイ理論ですが、

実際に潜在意識の書き換えに成功して、

充実した人生を送っている人がいるのも事実。


そんなわけでトレーナーの手ほどきのもと、

ワークに励んできているのですが、

それで7月半ばの「ヴォクシー手放し」に

繋がっちゃいました。


車検のため訪ねたディーラーで、

担当者からの

「これ、とてつもない費用がかかりそうですよ😁」

という言葉が

まるで脅し文句のように聞こえ、

「えーーー、問題なく車検通るんじゃないのかよー😫

なんでそんな脅しに遭わなくちゃなんねーんだよー😱

今までの潜在意識開発ワークは

何だったんだよー‼️」

と直感的にそう思ったわけですが、


いざ車が居なくなった駐車場を見つめたとき、

確かに愛車はいなくなりましたが、


それはそれで、

マイ・ヴォクシーに対して「深い執着」を持っていたことに

気付かされたと共に、

担当営業クンの脅し文句で強烈に背中を押され

売却せざるを得ない現実に持ってかれたこと。


これは、リスタート。

つまり新たな「出発」を意味するものではないか。


なんかそういうふうに感じたんです。

このことをセッションでトレーナーに伝えると、

「まさにそういうこと!😄」と返ってきました。


リスタートを迎えたデイヴの前に、

今度はどんな現実がもたらされるのか⁉︎

ちょっぴり怖く感じながらも

心なしかワクワクしている今日この頃です。