喫煙を一本の木に例えると、
タバコを吸いたい気持ちは、
枝葉や花のようなものといえる。
枝葉や花をいくら切ってもまた伸びてくるように、
吸いたい気持ちは、何回乗り越えても幾度となく襲ってくる。
そのたびに禁煙している人は、その気持ちと闘い喫煙行動をしないようにする。
しかし、キリのない終りの見えない戦いである。
枝葉を腐らせ、花を咲かせないようにするためには、
文字通り、根本を切り落とす必要がある。
一本の木ならば、その根っこを断ち切ってしまえば、
養分や、水分を吸い上げる力を失うから、
枝葉や花は、放っておいても枯れてしまう。
禁煙とは、枝葉や花を一生懸命その都度切り落としている状態をいう。
禁煙外来でいわれているように、
規定の治療が終わっても、いつまでも禁煙を続けねばならないのは
その状態を続けることである。
世間では、禁煙は治療だといわれるが、
治療は治療でも、根本治療ではなく対症療法といえる。
では、喫煙という木の根っことは何だろうか?
それは、「ニコチン依存症」という情報である。
これがある限り、吸いたい気持ちは、後から後から湧き上がってくる。
根っこがある限り、枝葉は茂り、花は咲くのである。
「ニコチン依存症」だから吸わねばならないのであれば、
その「ニコチン依存症」そのものを無くしてしまえばいい。
「ニコチン依存症」が無くなれば、禁煙を継続する必要はない
ゴルディオスの結び目をわざわざ解こうとするような、
「禁煙」という手法を用いなくても、
その結び目を一刀両断に断ち切った、
アレクサンダー大王の故事に習いたいものである。