2番目の
タバコをやめたというハッキリとした自覚がない。
ということは、禁煙をしている人や、禁煙をしたことのある人になら
良く分かると思いますが、
そのうち、いつとはなしにやめられるだろうと思ってはいますが、
これでやめられた、というハッキリとした自覚はありません。
禁煙と並んで、卒煙という言葉もありますが、
卒煙と聞くと、卒業と一緒で、もう学校に通わなくても良い状態
もうタバコを吸わなくても良いという状態
になると思われる人もあるかもしれませんが、
実態は禁煙を、卒煙と言い換えているだけで、
不安であるということも、ハッキリとした自覚がないことも
まったく変わりません。
一本だけお化けに気を付けてくださいと警鐘を鳴らさなければならない
というところが、一番の禁煙=卒煙の証拠でしょうか。
変わったところと言えば、「禁」⇒「卒」になったところぐらいです。
禁煙をしているときは、
吸ってはダメがズルズルと続いていきます。
タバコをやめたということは、
これでタバコをやめることができました。
本当の意味で「タバコを卒業」「卒煙」できました。
ということがハッキリ言えます。
いままで「スパスパ」吸っていたタバコを、
「ズルズル」と禁煙をすることなく、
「スパ」っとやめることができたという大自覚が起きます。
前にも述べましたが、
ハッキリしない、完成しない、卒業がない。
ということは求めているものが求まらない。ということで
タバコでいうならば、やめようと禁煙しているのに、
タバコをやめることができない。
ゴールのない円周トラックをいつまでも回り続けなければならないのが
禁煙ということです。
中高生の時に部活等で、
グランド5周走ってこいなどと言われたことがある人もあるとおもいます。
ゴールがあるなら渋々でもやろうと思いますが
グランドを永遠に走ってこいと言われたらどうでしょう。
やる気になるでしょうか。
禁煙なんかしたくないのは当たり前のことです。
その禁煙が、タバコをやめる唯一の方法であるならこれほどの悲劇はありません。