「放射線を浴びたX年後」について語り合う(川口美砂さんとの対談−6終わり)守田敏也 | 脱原発の日のブログ

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12月8日は1995年、もんじゅが事故を起こして止まった日。この時、核燃料サイクルと全ての原発を白紙から見直すべきだった。そんな想いでつながる市民の情報共有ブログです。内部被ばくを最低限に抑え原発のない未来をつくろう。(脱原発の日実行委員会 Since 2010年10月)

(守田敏也さんと川口美沙さんの対談はシリーズで6回、今回で終了です。

シリーズは、http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011 守田さんのブログ、

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「放射線を浴びたX年後」について語り合う(川口美砂さんとの対談-6終わり)

守田です。(20160628 10:30)

6月24日から26日の後藤さんとのジョイント企画、各地でたくさんの方にご参加いただき大成功でした。
おいおいご報告を載せていきたいと思います。

今回は川口美砂さんとの対談の最終回をお届けします。

ちなみに26日深夜に放送された以下の番組はご覧になられたでしょうか。
その後も続く川口さんの聴き取りに感動しました。
お父さんと一緒の船に乗られ、大変親しくされたいたおんちゃんも登場していました・・・。

 NNNドキュメント’16
 『汚名 〜放射線を浴びたX年後〜』(1時間・日本テレビ)
 放送時間 6月26日(日) 深夜24時55分〜
 語り 樹木希林
 https://www.facebook.com/video.php?v=1042961179126965

見逃された方、再放送があります!ぜひこちらで!

 再放送:7月3日(日)11:00~ BS日テレ
 7月3日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」
 


 詳しくは以下から
 https://www.facebook.com/nnndocument/

それでは川口さんの対談の最終回、質疑応答の後半部分をお届けします。

*****

連載第6回

京都「被爆2世3世の会」2016年度年次総会
記念トーク「父の死が放射線のためだと知った時」
川口美砂×守田敏也

感想交流と質疑応答の時間(抜粋)-2

倉本
3つ質問です。
1)妹さんはどういう経緯で川口さんを『X年後1』を観ることに誘われたのでしょうか?
2)自分とは関係ないと思っていたことが、お父さんとの関係で当事者であると自覚されるようになってきた。その時の感想は?
3)労災申請は、一人でもできる手続きではあるけれども、それほど簡単ではないと思います。結構勉強しなければならない。高知県にも民医連があるのでアドバイスを受けられればいいのではないでしょか。

川口
1)『X年後1』の上映が東京で行われていた時、たまたま室戸市出身の人がそれを観ていて、「この映画は室戸でやらな(上映しなければ)アカンやろう」と思って、地元の人と一緒に企画されたのですね。
それで室戸市で上映されることになって、それを妹が知って、私を誘ってくれたのです。
2)被曝とか放射能とかは自分とは無縁のものと思っていたので、身近にいた父が被ばくしていた事実を知った時、すごく戸惑いました。
自分が二世だということも理解しました。でも今、そのことを率先して話題にすることはちょっとまだできないでいます。二世なんていうと、室戸の私の世代、妹もそうですが、ほぼ全員そうなるのですね。
さらに日本国中マグロ漁船はあります。マグロ漁船だけではないのです。
一つ聞いたことがあるのは、大型の外洋貨物船に当時乗り組んでいたおじさんがいて、事件後すぐに健康診断を受けたのだそうです。つまり事情を分っていて経済的に対応力があり、かつ意識の高いところではちゃんとそういうことをしていたのですね。
ところがマグロ漁船の船員さんたちは全然何もされていない。もし定期健診が義務付けられていたら、ガンも初期に見つかったかもしれない。そういう悔しさも持っています。当事者として。
3)労災申請のアドバイスありがとうございます。申請手続きは、私ぐらいの人間でもできると思っています。ただその先は非常に難しいということは私の耳にも届いています。
第五福竜丸のみなさんの申請は受理されましたけど、他のマグロ漁船の船員さんたちの申請は非常に険しい途が待ち構えているのでしょうね。でも、何人も何人もやっている内にかなうこともきはっとあるだろうと思っています。それが今の私の支えです。

井坂
午前中の原水爆被災者懇談会の総会でも報告があったのですが、昨年が被爆70年で、被爆者の平均年齢も80歳を超えました。80歳も超えて被爆者がどんどん亡くなっていく中で、あの被爆当時、広島・長崎で何が起きたのかを語る人がどんどん少なくなって
いる。それで、川口さんがおっしゃいましたが、1954年のビキニで、働き盛りの30代の方たちが経験したことというのは今の被爆者の平均年齢と合致しますよね。
私の父も昨年87歳で亡くなりました。父が当時のことをしゃべりだしたのはその一年前なのです。それまでは私がいろいろ聞き出そうとしてもなかなか語ろうとはしなかった。
亡くなる一年前になって鮮明に記憶していたことを突然しゃべりだした。入市被爆して見た光景を思い出して語りながら「あんなむごいことをしてはいけん」と言いました。

川口さんが一生懸命聞き取りされている被曝された人たちの思いというのは、船主などから言われて、自分の中では何とか被曝というものを消し去ろうとしてしてきた思いが、解きほぐされたということがあったのではないかと思います。
素朴な質問ですが、映画のタイトル『X年後』ですが、Xの意味ですが、X年後とはどれぐらいのイメージなのかと。今、福島原発事故という大きなことがあって、それはわりとオープンに語られていて、今がX年後ではないかという気がしながら、でもまだまだ
隠蔽しようとする動きがある中で、国民的、世界的に明らかにしていくX年後というのがこの映画のテーマなのかと思いますけど、映画製作に参加された川口さんの思いと、守田さんのX年後についてのお考えを聞かせて下さい。

川口
X年後というのは、起こってから、どれぐらい経てば何かが分るという一つの暗示としてのXだと思うんですね。実際にビキニ事件に関しては、山下先生や伊東監督は長く関わってこられましたけど、世の中にはまだほとんど伝わっていないというのが現状だと思
うのです。被曝をされた方も高齢になられてきましたが、高齢になってしまって消えていくのを待つことはできません。着地点はないと私は認識しています。

守田
「X年後」というタイトルを監督がつけた理由はさきほど紹介したこの本の中に書いてあるのですが、僕が思うのは、X年後は多分一人ひとりにとってのX年後なのだと思います。X年後が実は数ヶ月後だった方もあるのですよね。
漁から帰られてすぐに亡くなられた方もおられたわけですから。これまで僕が見聞してきたことからすると、人間の放射線に対する感受性には個人差、個体差が相当あるのだと思うのです。
感受性が強い方は影響が早く出るだろうし、弱い方はもっと後から出てくる。一人ひとりにとって、X年後がそれぞれにあるというのが実際ではないでしょうか。今X年後が来ている方もあるし、もっと早く来た方もある。逆に大丈夫な方もあるでしょう。

一般参加者
先ほど被ばく二世という言葉がありましたけれど、私は40歳で、親は1946年生まれです。1962年まで頻繁に核実験されていたので、ひょっとしたら私の親も被ばく者で、私も二世かもしれない。
食べものにどれほど放射性物質が当てられているか分りませんが、ひょっとすると私自身が被ばく当事者かもしれないと思いました。
川口さんにお聞きしたいのは、聞き取り調査をされていて、怒りはありましたか?映画を観ていると、真実を明らかにしようとするすごく強いメッセージがあるわけではなく、淡々と「こういうことがありました、ああいうことがありました」というふうに映画は
構成されていたように思うのです。
「アメリカが憎い」とか、「日本政府が悪い」とかおっしゃるわけでもなく、大変な人にはこんなサポートをしていきたいとおっしゃるわけなのですけれど、怒りというものをどこかに向けられていなかったのかな、ということをお聞きしてみたかったのです。

川口
いろんなことを知るごとに、何も知らされていなかったおんちゃんたちのことを思います。第五福竜丸でさえも、あの時、読売新聞のスクープがなかったら闇に葬られていたのだと思います。
1954年の10ヶ月間の記録は確かにあったので、情報開示を求めて父のことを知ることができました。怒りはやっぱりあります。何も漁師に通告しないまま「無かったことにしよう」とされたことにやっぱり怒りますよ。
怒りますけど、拳を挙げて政治や思想を語ることは私はしない。私の知恵や能力のこともありますし。

漁師のおんちゃんたちは格好いいです。話していても苦労話や恨み話は言わない。思い出話と武勇伝ばかりです。
魚を捨てたことはおそらく怒っているのでしょうけど、本当は漁師のおんちゃんたちこそ怒って当たり前なのですけれど、そういう態度はしないのです。
そういう漁師のおんちゃんたちに寄り添っているわけですから、私がけしかけるような訴えをしようなんて気持ちには絶対にならないのです。怒りはあります。ありますけどそれを表に出してヒステリックに叫ぶようなことは今後も多分ないでしょう。

守田
映画を観ていて思いましたけど、まず「捨て置かれた被害者」という前に、すごく誇り高く生きてきた漁師さんたちの姿と、それに思いを馳せようとするものが強く出ているのですね。
そしてその中に悲しみとか怒りとかも折り込まれているのだと思うのです。漁師さんたちも、悲しみ、怒りをぶちまけるのではなくて、雄々しく生きてきた自分を保とうとして語られているのではないかと思いました。
それに本当に寄り添って、そのスタンスからこの時にあったことを語り継いでいった方が、真実がより伝わるのではないかという気がしています。
漁師さんたちに寄り添っていて、そんな漁師さんたちが次々と亡くなっていってきたことに深い悲しみと怒りを持ちながら、しかしそれ以上の愛情でもってこの問題を解き明かしていくことが大事なのだと思います。
すべてのみなさんの幸福のために、この漁師さんたちが辿ってきたことを明らかにしていくことが大切だし、漁師さんたちも何よりもそれを望まれているのではないかと思います。

川口
最後に、今日はみなさん長時間ありがとうございました。守田さんにかなりフォローしていただきましたが、私の拙い話がみなさんにどこまで届いたか不安です。
とにかく一人でも多くの方々にこのビキニ事件の真実を知って欲しいと強く思っております。
本当に今日はありがとうございました。

(了)

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守田敏也 MORITA Toshiya
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[著書]『原発からの命の守り方』(海象社)
http://www.kaizosha.co.jp/HTML/DEKaizo58.html
[共著]『内部被曝』(岩波ブックレット)
https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-270832-4