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真の国益を実現するブログ

真の国益を実現するため、外交・国防・憲法・経済・歴史観など
あらゆる面から安倍内閣の政策を厳しく評価し、独自の見解を述べていきます。

日経新聞が「保育無償化元年 きしむ現場」と題して、平成最後の昨日、今日と保育現場に関する特集記事を書いています。
『急増する申し込み 「3歳の壁」再び発生か』
『保育士、相次ぐ一斉退職 処遇改善が課題に』

拙ブログでは、そもそも「待機児童」なぞいないというスタンスです。というか、日本語としておかしい。なぜならば、保育所への入所を待っているのは親であり、たいていの子どもは保育所への入所を望んでいませんからね。
まあ、それは置いておくとして、29日の日経記事は次の文章で始まっています。
安倍晋三政権の肝煎り施策の一つである幼児教育・保育の無償化。10月の実施を前に待機児童が再び増える兆しが見え始めるなど、「無償化元年」の保育現場では早くもきしみが出ている。

保坂展人世田谷区長の「無償化自体は賛成だが、現場では予想外のことが起こり始めている」との談が紹介されていますが、当然予想されたことでしょう。保育の無償化で利用希望者は膨れ上がります。ただでさえ保育士は圧倒的に不足しているので、きしみを増幅させるだけです。きしみだけならまだしも、これ以上の受け入れは、子どもの命にかかわってきますね。
なお、「3歳の壁」とは、2歳児までを預かる小規模な保育園などに子どもを通わせている家庭が、3歳からの子どもの預け先に頭を悩ませている、という問題です。

30日の日経記事では「深刻な保育士不足が続くなか、都市部を中心に保育士の一斉退職が相次いでいる」とあります。
保育士不足は賃金等アップや処遇改善で解消できるとの意見が散見されますが、はたしてそうでしょうか。記事では「無償化よりも前に保育士の処遇改善など取り組むべき課題はたくさんある」と結んでいます。
当然、現状の低賃金と長時間労働等に対する処遇改善への取り組みは急務です。

しかしながら、そもそも現状の保育スキームにその哲学含めて無理があるのです。
厚生労働省の資料から。
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11600000-Shokugyouanteikyoku/0000057759.pdf

保育士資格を有するハローワーク求職者へのアンケート調査では、就業継続に関する項目として「責任の重さ・事故への不安」が最も多くなっています。

拙ブログで何度か取り上げている、保育問題に造詣が深い音楽家の松居和氏が過日、衆議院内閣府委員会で「保育の無償化」について、参考人として意見を述べられました。自らブログに書かれています。
http://www.luci.jp/diary2/?p=2791
長文ですが、そのまま転載します。是非お読みください。

<無償化で助かる親たちがたくさんいます。しかし、俯瞰的に見て、保育の無償化が、すでにぎりぎりまで来ている保育士不足による保育崩壊の最後の一撃になるような気がしてなりません。そして、子育てを損得勘定で考えることを国が助長しているように思えます。それが「待機児童」という言葉とともに隅々まで広がってゆく。
過去15年くらい行われてきた少子化対策、エンゼルプランや子ども・子育て支援新制度もそうですが、子どもを「負担」と捉える風潮を国が作り出している。その究極のところに「無償」という言葉があります。
負担を軽減すれば子どもをたくさん産む、という考え方は経済学者やごく一部の社会学者たちの視点であって、この人たちは子育ての本質を見ていない。宗教学、倫理学、人類学的視点が著しく欠けている。この視点で行う少子化対策はこれまでことごとく失敗しているのです。
子育てを「負担」と位置付ける施策で、出生率が上がらないどころか、結婚しない男がますます増えている。子どもたちの成長を「喜び」、子育てを「人生の美しい負担」「生きがい」と感じる人間本来の姿を取り戻さなければ、義務教育の崩壊どころか、この国のモラル・秩序が崩壊していく。
今回の無償化は、子どもの最善の利益がまったく優先されていない、その点を必死に訴えました。それが保育士たちにはわかってしまう。もし、子どもを可愛がる、子どもの心に寄り添う保育士であれば、「11時間保育を『標準』と名付けた」時点で、政府の施策に反発する、背を向ける。
「無償化」という言葉自体が、児童福祉法、子どもの権利条約、保育所保育指針に書いてある「子どもの最善の利益を優先する」という人類存続の決まりに反しているのです。「弱者を優先する」そこに人間社会の「成り立ち」があったはずです。
 現場では、無償化をすることで預ける子ども、預ける時間が必ず増えると言われています。もしそうなった場合、すでに限界を超えている保育士不足に拍車がかかって対処しきれない。すでに、ほとんどの保育園が現場にいるべきではない保育士を抱えている状況が、幼児たちの目に晒されることによって保育士たちを苦しめている。多くの子どもたちが、強者が弱者をぞんざいに扱う風景を幼児期に見ている。その体験をする。それが「いじめ」や小一プロブレム、学級崩壊につながっている。保育の質の低下がますます進んでしまうどころか、これでは学校教育がもたない。
一度この無償化が実施されると後戻りできないのです。子育ての「無償化」という奇妙な言葉が、「幼児たちが、信じ切ることによって親たちを育てる」という人類本来の存続の形を根本から覆していく気がしてなりません。

参考人に決まってからの数日間、幾人かの人たちに電話で無償化で起こりうる状況について確認してみました。30年間も家庭崩壊や保育の問題について毎年100回近く講演してきたので、忌憚なく話せる知り合いが全国にいます。
状況の異なる自治体の役場の福祉部長、保育課長(ほとんど公立の保育園で保育をしている市もあれば、私立の幼稚園と保育園主体の市もある)、保育士会の前会長、保育団体の青年部長、元保育課長で現在私立保育園の主任をしている人、私立幼稚園連合会の幹部などですが、一様に預ける人数の増加、預ける時間の長時間化が起こるであろうこと、それに関して今の体制では人員的にまったく対応できないという認識です。すでに無資格者が保育現場にこれだけ多く入っているにもかかわらず、(政治家が選挙公約にした)「無償化」に対応するため、さらなる規制緩和が行われれば、質の低下による人間関係の不信感が、どれほど混乱と無理を現場に強いるかが目に見えているのです。
私がいう「現場」は、子どもたちを含む現場です。子どもたちにとっての現場と言ってもいい。3歳までは、脳の発達に充分な話しかけをしてもらえるか、抱っこしてもらえるか、5歳までに、どれだけ可愛がってもらえるか、寄り添ってもらえるか、その「現場」です。経営の現場、条例の現場、仕組みや制度の運営の現場ではありません。
幼児との「現場」が人間を優しくし、社会に忍耐力を生んできたことは、ちょっと考えれば誰でもわかるはず。どれだけたくさんの人たちが、どれだけたくさんの時間をこの「幸せそうな絶対的弱者」と過ごすかで社会の質が決まってきた。経済なんていうものも、この社会の質の上に成り立ってきた。

これだけ、現場で「無理だ」と言っていることをなぜ政治家は進めようとするのか。自分たちの選挙やキャリアよりも、日本の未来でもある、子どもたちの日々のことを優先的に考えるべきではないのですか。
親になるということは、損得勘定を捨てることに幸せを見つけること。仏教やキリスト教など、主要な宗教が薦めてきた「利他」の道を歩むこと。遺伝子という、すでに持っている幸せのものさしを体験し、自らのいい人間性に気づくこと。

参考人を終えた後、幾人かの議員たちが、右も左も、与党も野党も超えて「そうですよね」と言って寄ってきてくれたのが嬉しかった。旧知の顔も幾人かいました。子どもたちの願いを優先する、それで心は一つになるのです。>

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次のようなネット配信記事に目が留まりました。
『元国税が論破する「公共事業を増やせば賃金が上がる」の大ウソ』

あまりに酷い内容であり、看過できないので叩いておきます。
まずは、我が国が村山政権以降(平成6年度)630兆円の公共事業を10年間(年平均63兆円)で執行したという記事です。そしてこれが現在の国の巨額借金の原因なのだと。

国土交通省の資料から、「政府全体の公共事業関係費の推移」です。
http://www.mlit.go.jp/common/001024981.pdf

補正予算含めても、1年間に15兆円までです。ご存知のように、近年では6兆円程度とピーク時の約3分の1、約10兆円も削減されています。平成7年度からの10年間計で120兆円程度です。

この120兆円は、この方のいう630兆円から大きく下回るのですが、次のような反論もあるかと思います。
「これは国の予算だけで、地方やその他特殊法人含めると、もっとある」
確かに、地方単独の公共事業や補助事業でも地方の持ち出し分もありますからね。

では、官民合わせた建設投資の推移グラフがありましたので、それを見てみましょう。
内閣府の資料から https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg2/270828/shiryou1-2p.pdf

下の薄い赤の棒グラフが政府投資の額です。民間(上の薄い青の棒グラフ)との二分法ですので、この政府には地方政府を含んでいると推測されます。そして、建設投資とありますが、「住宅」、「非住宅」、「土木」全て含んでいます。
1995年(平成7年)からの10年間でも、年30兆円程度で合計で約300兆円です。10年間で630兆円もの公共事業費なんて大嘘ですね。

次に、この公共事業費の増大が国の巨額の借金の原因とありますが、これについても、無理があります。
(巨額の借金を問題にすること自体が間違っているのですが、そこは置いておきます。)

公共事業費については、基本的には「建設国債」を財源としています。
財政法第4条第1項において、「国の歳出は原則として国債又は借入金以外の歳入をもって賄うこと」と規定されていますが、ただし書きにより公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、例外的に国債発行又は借入金により調達することが認められています。この際発行される国債を「建設国債」と呼んでいます。
一方、建設国債を発行しても、なお歳入が不足すると見込まれる場合には、政府は社会保障費等公共事業費以外の歳出に充てる資金を調達することを目的として、特別の法律によって国債を発行することがあります。通常、これらの国債は「特例国債」と呼ばれますが、その性質から「赤字国債」と呼ばれることもあります。

では、国債残高の推移グラフを見てみましょう。
(三橋貴明氏作成のグラフから拝借)

赤の棒グラフが特例国債(赤字国債)、青の棒グラフが建設国債の残高推移です。

一目瞭然でしょう。確かに、1995年(平成7年)当時は赤字国債よりも建設国債が多く、政府債務の主要因となっていました。しかしながら、近年では公共事業費の削減と高齢化の進展による社会保障費の増大により、赤グラフの長さが青グラフのほぼ2倍近くになってます。政府債務残高増大の要因は、社会保障費の増加であることは否定しようがないと思います。
そりゃそうでしょうね。公共事業費の削減が進む中、社会保障費は増大の一途を辿っています。平成10年当時は15兆円ですが、平成30年にはそこから20兆円近く増えて33兆円になっています。
(財務省作成資料から)
https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia300411/01.pdf


次に、「巨額の公共事業計画を行っている真っ最中に、日本人の賃金は下がり始めたのです」とあります。

上手い表現だなと思うのが、巨額の公共事業計画が賃金低下の原因とは書かずに、「巨額の公共事業計画を行っている真っ最中」と書いているところです。
「公共事業を増やせば賃金が上昇」論者の反論として書かれた文章ではありますが、読者にとっては、巨額の公共事業計画が賃金低下を引きおこしたような印象を持ちますよね。

そもそも、年間60兆円もの巨額の公共事業を行っていませんし、実質賃金の低下が始まった1997年以降、傾向として公共事業費は削減され続けてきたのです。1997年については、①4月に消費税税率の3%から5%への税率引き上げ、②7月にアジア通貨危機、③11月には北海道拓殖銀行が経営破綻、山一証券が自主廃業と大きな経済事件のオンパレードです。
2001年にかけては日産生命など7つの中堅生保が破綻しました。戦後初の都市銀行の破綻等を契機とした1998年から1999年の金融の信用収縮(クレジットクランチ)、その後企業は投資のために借り入れた資金の返済を優先し、投資を縮小しました。民間も公共も徹底して投資を削減したのです。


確かに、「公共事業を増やせば賃金が上昇」との顕著な相関は見てとれませんが、逆に近年の賃金低下は公共事業削減が主要因との主張も可能なわけです。

さらには、内閣府作成の『社会資本整備等の現状』資料内「実質GDP成⻑率に対する項⽬別寄与度」見ると明らかなのですが、「公的固定資本形成」増加は実質GDPに対してプラスの寄与、減少ではマイナスの寄与となっていることからも、公共事業費増は景気の下支え、一方、公共事業費減は景気を冷え込ますことは明らかなわけで、一定、賃金増加にも寄与しているとの推測は十分可能と考えます。


まあ、拙ブログとしては景気や賃金への効果云々ではなく、必要な公共事業は行うべきと考えます(社会保障も)。もちろん、財政赤字も、その額の多寡で良い悪いが判断されるものではありません。


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