民の代表者たる議員による代議士制においては、民の意見や要望等の反映が十分には行えないとして、1970年頃から、いわゆる市民運動が興隆しました。並行して、消費者運動という流れもあります。
代議士制をどう捉えるか、民意の直接的な行政施策等への反映に関する論議は、一旦置いておきます。
今回は、SNS等を中心としたネット活用が、これらの市民運動に寄与するか否かに関して、思うところを記してみようと思います。
よくある意見は次のようなものです。
「SNS等ネットの発達により、意見の発信や意見集約が容易になったため、各種施策への民意の反映がより叶うようになる。」
「新聞やテレビ等のマスメディアにおいて正確に報道しない、あるいは報道されない事象もあったが、ネットにアクセスすることにより、皆がより正しい情報を得ることができるようになり、民度も向上する。」
結論から言うと否です。
当たり前と言えば当たり前ではありますが、SNS等がいかに汎用性が高く、ローコストであろうとも、やはり資金力とその使い方の巧拙に左右されるからです。
過日大阪で行われたいわゆる大阪都構想の住民投票を例に挙げます。
橋下維新の喧伝する内容のほとんどがデマであるという真実について、草の根的なネットでの拡散や、京大の藤井聡教授を中心とする有識者の言論活動もあり、僅差で反対側が勝利したのですが、元々橋下維新がその胡散臭さにもかかわらず、権勢を拡大出来たのは、橋下徹のツイートによるところも大きかったのです。実態はともかくも、彼には何と130万人ものフォロワーが付いているのです。
http://spotlight-media.jp/article/142515084466329321
また、安倍自民の先の国政選挙での勝利においても、SNS等ネットは、安倍自民に有利に働いています。安倍晋三のツイッターフォロワーも約50万人もいますからね。
敵方というか、相手方も同様に、SNS等を利用するのです。したがって、ネット活用が市民運動に寄与するか否かについては、否としましたが、相手が使用するので、使用せざるを得ないというのが現実なのです。
これは、先に市民運動側から発信したとしても同様です。権力保持側が、その提案なり要望に対して都合が悪いケースであれば、さらに強力なネット発信により逆襲されるだけです。
ただし、稀に市民運動側の意見を無視できなくなり、施策等に取り入れることもあるかもしれません。
これはこれで危険を孕んでいます。それは、ネット独自の発信記事や意見の信ぴょう性にあります。
無論、全てのネット独自の発信記事や意見の信ぴょう性に疑義があるとまでは主張しませんが、原発被害から某外資メーカーの農薬問題、経済財政問題まで、挙げれば枚挙に暇がないと思います。
結局、政治的意思形成において、ネット活用に意義があるとすれば、為政者の愚策や暴走に対する歯止めくらいしかないのではと考えます。
なお、為政者の愚策に関しては、そもそも愚策と判定したことが誤謬というケースもあり得ることは言うまでもありません。