1.ニヒリズムについて
ミュージシャンのASKAや押尾学、ノリピーが薬物に手を出したり、野々村県議が号泣したり、大阪池田小や秋葉原で無差別事件があったり・・・(古い例も出してますが)世の中、なんだか変ですよね。
哲学者のニーチェは、「ニヒリズム」という概念を主張しました。ヨーロッパ世界はずっと、キリスト教的な価値観に支配されていました。これは、現世(この世)ではなく、来世(あの世、天国)で報われる・・・という思想です。
これは、弱者が大逆転するための「ルサンチマン」的な思想であり、現世での努力や発展が抑制される点で、有害であると説いたのです。
そして、科学技術の発展などでキリスト教的な価値観への懐疑が芽生えていた近代に入ったヨーロッパにおいて、堂々と「神は死んだ」と宣言し、今までのヨーロッパで普遍的だった絶対的な価値観を否定して(価値の否定が「ニヒリズム」)、「新しい価値を見出し、強く生きていかなければならない」とニーチェは説いたのでした。
何でも言いますが、哲学は「信者」になるのは禁物であると思います。複数の違った哲学を学んである程度の相対化(心の中に複数の哲学を持つ)か、客観視(少し距離を置いて冷静にみる)ことも必要だと思います。そうでないと、一歩間違えば「危ない人」になりかねないです。
なんだか、いきなり哲学の話をダラダラ書いて、読者の方はひいているかもしれません。しかし、重要なことです。国家社会がいかにあるべきか、個々人がどのように「強く」「希望を持って」生きていくか、そして社会に蔓延する閉そく感を修正していくにはどうすればよいか?あくまで「そういう考え方もあるのか!」という気づきと相対化、考える上でのヒントになります。
※あくまでヒントです。ニーチェ哲学は「正解」は与えてくれないと思います。
2.良いニヒリズム、悪いニヒリズム
ニヒリズムに至ったとしても、人間のその後の態度や行動には、大きく分けて2つのパターンがあり、それは大雑把には「健全な、望ましいもの」と「不健全な、望ましくないもの」に分けられることができると思います。
悪いニヒリズムの代表格は、ASKAや押尾学、ノリピーみたいな薬物でしょう。秋葉原無差別事件の犯人や、大阪池田小の事件の犯人も同じです。「希望は戦争」と言った人も似たようなものかもしれません。無気力でずっと何もしない人も、悪いニヒリズムかもしれません(一時の休みは必要ですが)。
「どうせ、世の中は無価値だ、だから壊してしまえ!」もしくは「思考停止して、どーでもいいや。流されてしまえ!」これが、悪いニヒリズムです。
良いニヒリズムは、「世の中は無価値だ。だが、それでも、自分は何か価値を見出して、強く生きていきたい。そして、国家や社会、地域、人のために尽力したい、支えたい」というものです。
「意味など無い。しかし、それでも」と思えるかどうかが、違いです。
人間は、完璧な存在ではありません。意志力を保つためには、価値を見出すためには、自分を過信せずに、古くから継承されてきた価値観に素直に学ぶことだと思います。
自分を過信すれば、暴走や薬物、暴力、暴言につながります。人間の合理性や社会性には限界があるのです。
価値観を継承して、それを維持して正義や世の中に価値を見出す、信じるための「意志力」が問われます。そうしないと、悪い道へ流されていくかもしれません。
たとえ絶望しても、世の中の無価値や人間の愚かさを知ってしまったとしても、諦めて無気力になったり、犯罪に手を染めてはならないのです。
3.安倍信者のニヒリズム
日本の世論の一部に存在する安倍信者は、「思考停止」している上に、ネトウヨ仲間とつるんで、弱者の群れ根性(群れれば安心する)に陥っている点で、ニーチェの言った「畜群」に他ならないと思うのです。
彼らは、自分を持ちません。群れて安心して、それで問題解決になりますか?価値を見出して、個人として強く生きて、国家社会を支えられるのですか?「安倍絶対支持!」ってただの自己満足でしょうが!!!
安倍信者は多数派です。多数派で安心しているのです。アンチ安倍の保守など少数派です。というか、安倍信者は保守ではないと思います。
思考停止せずに、安倍政権のグローバリズム原理主義という危険性を直視して、現実を把握した上で、一歩一歩進んでいくしか道はないのです。
安倍晋三の危険性から、目をそむけるな!自分に嘘をつくな!このように、安倍信者には言葉をかけていきます。
