【5月2日】旅順港 第三次閉塞作戦(日露戦争) | 真の国益を実現するブログ

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明治37年(1904年)5月2日、今からちょうど110年前の今日、日露戦争の旅順港にて第三回閉塞作戦が行われました。

閉塞作戦とは、旅順港にロシア艦隊を閉じ込めてしまう作戦です。

日露戦争は満洲・朝鮮半島を中心とした戦争です。有名な奉天会戦などは陸上の戦いです。

しかし、日本は大陸から海で隔てられていますから、支那大陸で戦争するためには船で陸軍兵士や武器、食糧を輸送する必要があります。

ロシア帝国は支那大陸の遼東半島の一番端、旅順に軍港を持っていました。

旅順の位置

この軍港からロシア太平洋艦隊が日本の輸送船を攻撃すれば、日本軍は大陸へ軍隊や武器、食糧を輸送することができなくなり、戦争を継続できなくなります。

戦争の基本中の基本ですが、「兵站」は勝利のために絶対に確保しておく必要があるのです。

ですから、日本海軍は開戦して一番最初に、旅順のロシア艦隊に攻撃をしかけて、輸送船の安全を確保しようとしました。

ところが、ロシア艦隊は旅順港の中に引きこもって出てこなくなりました。

旅順の地図を見るとわかりますが、非常に狭い入口の向こう側に、内海のような湾になっています。そして、この港湾は陸上の要塞に備え付けられた大砲とサーチライトが守っています。

よって、湾口の向こう側に逃げ込まれると、日本海軍としては手も足も出ないのです。近づけば要塞砲の餌食になります。



湾口の向こう側に逃げられてしまった以上は、攻撃できません。そこで困った日本海軍は、どんな手を使ったのでしょうか・・・?

それが・・・「旅順港の入り口を船でふさいでしまい、出てこられないようにする」作戦です。たとえ敵艦隊を撃滅できなくても、閉じ込めてしまえば日本の輸送船は安全になるのです。

こうして、三回にわたる旅順港閉塞作戦が実施されたのでした。その三回目にあたる閉塞作戦が、5月2日に実施されました。



発案は、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」によると、秋山真之であるようです。かつて、米西戦争の観戦武官としてアメリカ軍による閉塞作戦を見ていたことが、アイディアの元となったのです。

閉塞作戦のためには、老朽船を旅順港入り口まで運ぶ必要があります。これは決死の作戦です。旅順要塞は先に述べたとおり、サーチライトと大砲がありますので、夜間であっても近づけば集中砲火を浴びて粉々にされる危険性があるのです。



海軍は作戦遂行の人員を募集しましたが、定員を上回る応募がったようです。

多くの犠牲を伴った閉塞作戦でしたが、結局、うまくいきませんでした。

そこで、海軍は陸軍に旅順要塞を陸から攻撃してくれるように頼みます。陸軍の砲撃と、軍上層からの命令もあり、ロシア艦隊は旅順港から出てきてウラジオストック軍港へ向かいます。

そこを日本艦隊が待ち伏せして、黄海海戦にいたり、ロシア艦隊との決着をつけることになります。

*参考資料
Wikipedia
司馬遼太郎「坂の上の雲」


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