あやしい悪魔論 2 悪魔とは、我々の心の中の欲望や邪悪さの投影ではないのか? イエスの場合は? | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

よく見るものとして、耳元で天使と悪魔が、左右の耳に何事かを囁く、語り掛けてくるという図があります。

 

 

 

これは道徳的ジレンマとでもいうもので、天使や悪魔が実際にそうしているというよりは、その方自身の心の中の葛藤ではないのか。

 

 

例えばの話、道を歩いていたら一万円札が落ちていたなんて場合、そして、たまたま他には誰もいなかったような場合、人の心はどうなるか。そのまま拾ってポケットに入れてしまう(ネコババする)か、それとも正直に交番に持って行く(遺失物)か。

 

この場面に、天使と悪魔が登場します。

 

 

 

落とした人が困ってるだろ。ちゃんと交番へとどけろよ

 

かまうこたーねーよ。落とした方が悪いんだよ。もらっちゃえ

 

 

 

で、このように対立する天使と悪魔が喧嘩するということはなく、その人間がどちらの言うことに耳を貸すかでその後の行動が決まります。

 

※ このような場合、第三の選択肢として「いっそ、見なかったことにする」というものもあります。いっそのこと、関わらなければ道徳的ジレンマに苦しむこともなく、悪魔と天使が登場することもない?

 

 

まあ、1円から100円玉ぐらいならねえ。500円玉ともなると、ちょっと悩みます。千円札ともなりますともう少し悩みます。

 

 

さてさて、天使もそうですが、悪魔と言えばやはりキリスト教でありまして、イエスの言行録とも言える福音書には「荒野の誘惑」と題された話があります。

 

 

洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、「霊に導かれ」とありますから、これは聖霊、いっそ天使なのか。

 

つまり、この話は神により仕組まれた試練ということになるでしょう。

 

 

考えてみれば神の子として誕生したのに、「悔い改めろ」と説いていた洗礼者ヨハネから、その洗礼を受けたり、荒野で修行するというのもおかしな話です。

 

それとも、たとえ神の子であろうと修行しないといけないのか。

 

 

さて、マルコ書では、あっさりと「サタンの誘惑を受けた」としか書いてありませんが、マタイ書ルカ書ともなりますと事細かな内容となっております。

 

 

 

 

 

 

イエスは40日間もの間、断食したとあります。飲まず食わず、ということでもなく水分補給ぐらいはしていたのでしょう。

 

もしかしたら、洗礼者ヨハネがそうしていたように、少量とはいえ野蜜とイナゴなんか捕まえて食っていたのかもしれない。

 

(※ まあ、この話は実話というよりも寓話とされているようですが)

 

 

日本における修験道で、その断食修行をルポしたドキュメント番組がありまして、それを見ていたら、断食してから4,5日もすると「まばゆい光が見えた」、「神(仏)を見た」なんてことを言う方が現れます。

 

 

仏教の修行者にも、似たようなことを言う方がおりまして、様々な仏が現れたのだとか。

 

例えば、日蓮なら虚空蔵菩薩が、親鸞なら救世観音菩薩が現れたとあります。

 

 

 

ついでながら、親鸞さんの場合がなかなか興味深いものでして、この救世観音様がおっしゃるには「煩悩に苦しむ汝のために、わらわが代わりとなって抱かれよう」というのであります。

 

 

 

 

 

畏れ多くて涙が出ますよねえ。

 

あっしの前にも現れてくれませんかねえ。

 

 

 

ただ、あまりにも畏れ多くて・・・、

 

 

あ、あれ・・・、おっかしいーなー。い、いつもならちゃんと・・・

 

 

なーんて失礼なことにならなければいいんですけどねえ。

 

 

 

わらわに恥をかかせおって

いっそ、使い物にならなくしてくれるわ

 

 

なーんて仏罰を食らうとか。

 

 

 

 

えー、話を戻しますに、もしこの話が実話なら、イエスが見た悪魔は幻覚でしょう。

 

釈迦だって修行中にそういう幻覚を見たって言ってますからねえ。

 

 

 

さて、悪魔はまず、イエスが空腹なのにつけこんで、「イエスさん、あんた腹が減ってんだろ。神の子なんだから、神通力でも使って、そこら辺にある石をパンにしたらどうだい」なんていいます。

 

 

 

 

これに対し、イエスが言う言葉が、あの「人はパンのみで生きるの非ず」ですねえ。

 

米もうどんも、蕎麦だって食うぞ」なんて、つまんねーことは言いません。

 

 

他にも、神殿の屋根にまで連れて行き、「ここから飛び降りても、きっと天使が助けに来るんだろ、やってみないか」とか、「この広い、野原いっぱいに咲く花を、ひとつ残らず、あなたにあげる。だから、時々オレにメールしてくれよ」・・・、ではなく、「あんたをこの世界の支配者にしてやろう」、「その代わり、女王様とお呼び!」・・・、ではなく、「オレ様の前にひれ伏せ」なんてねえ。

 

 

 

 

 

して、これ、本当は悪魔がイエスに囁いたことではなく、イエス自身の心の中の葛藤ではなかったのか。

 

 

特に、最初の話なんかがねえ。

 

 

ちっくしょう、腹減ったなー

この石ころを、パンに変えられたらなー

 

 

 

なーんて思っていたのではないのか。

 

 

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イエスの大将、あんた、パンは石に変えなかったくせに、

カナの婚礼の時にはただの水を葡萄酒に変えているじゃないですか

 

 

 

カナの婚礼

 

 

 

パンはダメでも、酒ならいいんすか?

 

(この、大酒飲み野郎が。そこんとこはどーなんだ?)

 

 

ねずみ男、あれはなー、気合いだよ気合

 

へっ?

 

プラシーボ効果ってあるだろ。ただのビタミン剤を特効薬と言ったら、

それを信じた奴には本当に効果が出たりするやつだよ

 

ただの水だって、気合を入れて、酒だと思って飲めば酔っぱらうんだよ

 

 

 

(ホントかよ)