あやしい悪魔論 1 悪魔の囁きは、囁く方が悪いのか、それともそれに耳を貸す方が悪いのか? | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

キリスト教聖書悪魔といって思いうかべるのは旧約の『創世記』に登場するヘビでしょう。神がこの世で造った生き物の中にあって最も賢い、というよりはずる賢い、いっそ狡猾だとあります。

 

 

では、そもそもなんでそんなものを造ったのか、という製造者、つまり造物主としての神の意図が気になります。いっそ、製造物責任を追及したくもなりますが、「インシャラー(すべては神の思し召しのままに)」ではないですが、思うに人間なんぞが思い至ることのできない何かきわめて崇高な考えがあってのことなんでしょう。

 

 

同じく旧約聖書の『ヨブ記』における敬虔なヨブのように、ただ黙って素直に受け入れるしかないのかもしれません。

 

 

 

よく言われるような運命の許容というよりも、神の意思の許容であります。命じられたことは、たとえそれが理解不能、いっそ理不尽なものであれ黙って素直に受け入れる。

 

ヤクザの世界で言えば、親分から、敵対する組の親分のタマ(命)を取って来い(殺せ)と言われたら、ドス(短刀)とかチャカ(拳銃)なんかを握りしめて、その組の事務所に殴り込みをかけるしかない。

 

 

 

ちなみに、これがユダヤ民族、そしてクリスチャンのあるべきスタンスでしょう。

 

それができないような奴は破門であり、追放されることになります。

 

 

アダムイブのごとくになります。

 

 

 

さて、このヘビはキリスト教では悪魔の化身として捉えられております。

 

 

 

 

 

まあ、あの、一般の人間なら生理的な嫌悪感を抱くグロデスクな生き物とは、あまりお友達になりたいとは思わないでしょうからねえ。

 

 

このヘビが、エデンの園でなーんも考えることもなく、この世の春を満喫ししていたらしいイブに囁きます。

 

 

 

食べてごらん(おいしいよ)。それに神が言ったように、死ぬなんてことはないんだから

つまんでごらんよ、しゃぶってごらんよ、ちょっぴり甘い、禁断の蜜の味がするんだから

 

 

 

して、ここで、まず気になるのは、なぜヘビが人間の言葉をしゃべることができるのか、理解できるのか、という問題がありまして、むしろ、これはイブの投影心理、つまり、本当は彼女の心の中の葛藤ではなかったか、という推測もできます。

 

 

 

神様は、知恵の木の実だけは食べてはいけないと言ったけれど・・・

すんごくおいしそうなのよねえ

もしかしたら、もったいながって、そう言っただけではないのかしら

 

 

 

あるいは、そんなことはなかったとしても、イブの気持ちに中にそのような思いがあったのかもしれず、ヘビはそこを巧みに突いたのではないのか。

 

 

こうして、イブはタブー犯し、これを食べると、いっしょにいた、なぜか、そんなタブー侵犯者のイブを「いけないんだ、いけないんだ。神様に言付けてやる!」なんてこともしないアダムにも勧めます。そして、アダムも食っちまいます。

 

 

さて、もし、実際にヘビがアダムとイブをそそのかした、それこそ悪魔のごとく囁いたにせよ、それに耳を貸した二人にも罪があるというべきでしょう。

 

しかし、イブはヘビがそそのかしたから、アダムはアダムで、イブが食ってみろ(おいしいのよ)と言ったから、と下手な言い訳をしております。

 

 

神は、ヘビもアダムもイブも罰します。刑法でいう「共同正犯」でしょう。

 

 

 

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以下、これは余談です。

 

 

ちょうど今のような季節、婦警さんが女性向けの防犯講習で、暑くなるからと言って、過剰に肌を露出するようなファッションは控えた方が望ましいです、なんて言ったそうです。

 

 

 

 

 

 

これに対し、女性の反発があったそうです。

 

 

 

どんな服を着ようと、それは女性の自由であり、女性のファッションをとやかく言う以前に、

むしろ、それに欲情するような男どもを注意しろ、取り締まれ、と。

 

 

 

 

正論であります。

 

 

しかし・・・、問題は微妙ではあります。

 

 

 

痴漢行為をしたといって、とある男が捕まって言うことには、

 

 

 

だって・・・、あの女、やたらとセクシーな服を着ているから

オレだって、男だから、ついムラムラとなっちまって

 

 

 

この男は、いうなればアダムとイブと同じようなことを言っております。

 

自分は悪くない。悪いのはあっちだ、というわけなのであります。

 

 

 

では、その女性の言い分はどうか。

 

 

ただ、今年の流行のファッションを着ていただけじゃない

べつに、男の(※ 不特定多数)の気を引こうなんて思ってもいなかったわ

 

 

 

 

 

 

思うに、これも正論でしょう。

 

 

しかし、街中で、セクシーに見えるファッションの女性がいたら、つまり、男性から見て魅惑的な女性がいたら、隣に恋人がいようが、奥さんがいようが、つい、その女性に目が行ってしまうというのは、全ての男が持つ悲しい(?)性(さが)なのであります。

 

ただし、見ても、せいぜい1,2秒の瞬時でありまして、英語の俗語でではこれを「ビーバーズ・ショット」なんて言うようでして、それを超えますとぶしつけなものとなり、紳士たることを心掛けております男性は、あくまでエチケット重視なのであります。

 

 

なお、女性は、こういう時、男性よりも遥かに嗅覚というか、知覚が優れておりまして、概ね、この男どものショットを見逃さないとされます。

 

 

いやらしいわねえ。それに、あんな女のどこがいいのよ

あたしのほうがずっと・・・

 

 

 

なーんて思うらしいです。

 

 

なお、嘘か本当かは知りませんが、当の女性からしますと、それこそ化粧もバッチリ決めて、思いっきり勝負服を着て撒き餌(※ 釣りで、獲物となる魚を引き寄せるために撒くエサ。おおむね、雑魚ばかりが寄ってきますが、時には大物が来る、のだとか)をしているのに、男どもが全く関心を示さない、興味を示さない、というのは、それはそれで不満なのだとか。

 

 

 

ったく、最近の男は。見る目がないのかしら

 

 

 

なーんてねえ。

 

しかし・・・、関心を示す、興味を示すというのは、あくまで男性側の問題ですからねえ。

 

 

この辺りを勘違いして、何でもかんでも露出度の高い服を着れば魅力的だろう、なんて思う女性(※ こと、10代女性)も少なくないようですが、そういうものでもないのであります。

 

 

言い方は悪いですが「チラリズム」なんて言いまして、「見えそうで見えない」なんて方が「やたらと見える」よりも、魅力的であったりもするのであります。

 

 

 

チャイナドレス

 

 

 

世阿弥も言っております。「秘してこそ花」なんてねえ。

 

 

 

して、こういう、男女の心理的駆け引き(?)なんてものに対し、眉をひそめるという、それこそフェミニストもいるはずでして、そういう方なら、イスラム教の女性が身につけるブルカでも着ればいい、なんて言うかもしれない。

 

 

 

 

ブルカ