海外から来られた方で、こと紛争なんてものと隣り合わせであった国の方が言うには「日本は平和でいい」のだとか。そんな平和が当たり前ではない国々の人々にすれば羨ましい限りなのだとか。
「この世から戦争をなくせ」なんて声もたくさんありますが、そして多くの国々で学校で子供たちに教えていると聞いたことがありますが、それでもなくなりませんねえ。
ジャン・ルノアール監督の第一次世界大戦を描いた『大いなる幻影』という映画のラストシーンの、二人の男の会話が印象的でした。
いずれ、こんな戦争がこの世からなくなるんだろうか
それは君の大いなる幻影さ
実際に、第二次世界大戦が起こってますからねえ。
さて、「会議は踊る。されど進まず」状態の日本政府による憲法改正草案の内容の一部が『毎日』新聞にリークされ、そのあまりの保守的な内容に業を煮やしたGHQ・マッカーサーは、GHQ主導による独自の改正草案作成を部下に命じます。
それにあたってマッカーサーは後に「マッカーサー・ノート」と呼ばれる改正の三原則を呈示します。
1 天皇は国家の元首にして、皇位継承は世襲
2 戦争放棄。陸海空軍を持たない
3 封建制度の廃止。皇族を除き華族は廃止する
2の戦争放棄は、幣原首相とマッカーサーの共同案であったともされますが、主導したのはマッカーサーのほうであったようです。
しかし、そもそも軍隊を持たない独立国なんてものが考えられるのか、という疑問がGHQ内部にもあったとされます。
兵力の制限ではなく、軍備全廃というのは極端すぎるのではないのか。しかし、もし、それが実現するともなれば、世界で唯一の「平和国家」の誕生ということにもなる?
長崎 平和公園
そして、そのことが世界的な世論に与える影響はきわめて大きい。
そもそも、どんな国であれ、どんな人々であれ、戦争を望むなんてことがあるのか?否応なく巻き込まれてしまうも、できることなら避けたいのが本心のはず。
戦争という愚行によって人類は多くの人命と財産を失い、さらには自然を破壊してきた。それでも、まだ懲りずに愚行を繰り返している。
もはや大バカ野郎としか言いようがない。
大バカ野郎の一人、プーチン大統領
とはいえ、現実的に考えた時、戦争放棄、軍備撤廃というのはあまりにも理想を先行させていないか。
マッカーサー指示のもと、独自の草案作成に取り掛かった実務担当者達も悩んでいたようです。
また、天皇は元首であるとはしておりますが、その地位は社交的君主という役割にとどめるべきだいうことであったとされます。それこそイギリスの王のごとく「君臨すれど、統治せず」でしょう。これは後に「天皇は象徴」というものになってゆきます。
さて、GHQとしては、やがて日本政府側から呈示されるであろう草案の概略は掴んでいるわけで、それに対する対案という形でこちら側の草案を出し、最終的にはこれを日本政府側に認めさせるという腹積もりであったとされますが、GHQ内部では、それこそ押し付けとなるのではないのか、という疑問があったようです。
これに対し、GHQ側の草案責任者であるケーディス大佐が言うには、
アメリカの政治イデオロギーと、日本人の憲法思想の中で最良または最もリベラルなものとの間には、現在の日本政府の考えの間の不一致ほどのギャップは存在しない
だと。
これは、在野における高野岩三郎グループがGHQに持ち込んだ憲法草案を念頭においてのことでしょう。
どちらが、誰が作ったものであろうと、それを実際に受け入れるかどうかは日本人次第。松本国務相主導の、旧態依然のままの新憲法よりもずっとリベラルなGHQ側の草案は、同時に、在野から出てきた草案にも近く、きっと日本人はこちらの方を選ぶはずだということであったように思います。
まあ、そうでしょうねえ。
国民というよりも、あくまで国体(国家)の維持こそを優先させているような憲法なんかを選ぶはずもない。
皮肉な見方をすれば、GHQの方が、日本政府よりも国民のことを考えていたというべきか。
仮に日本政府の草案が通ったとしたら、それは名目的には民主主義を示しながら、実質的には君主主義という日本の国となっていたのでしょう。
まあ、民主主義なんて、ものは言いようですから。
少し前の、ロシアの大統領選挙の時に、ロシアの政府高官が「ロシアは世界一の民主主義国家だ」なんて、いっそ、「こいつ本気で冗談言ってるな」と笑わせてもらいましたが、ロシアの言う「民主主義」なるものは、世界的なレベルの民主主義とは相当異なるのでしょう。
して、いよいよクライマックスが近づいてきます。
GHQの改正草案を突き付けられた時の日本政府の反応が楽しみとなります。