ミッション系保育園に通っていたあっしが、暗唱させられた、その名も「主の祈り」というものがあります。
天にまします我らの父よ
御名が崇められますように
御国がきますように
御心が行われますように、天におけるように地の上にも行われますように
私たちに必要な糧(かて)を今日もお与えください
いずれも、マタイ書とルカ書にあります。
田川センセによれば、これよりももっと短い、ルカ書にある言葉の方が事実に近いのではないかとしております。
この「主の祈り」は神に対する、ごく基本的な祈りであり、多くのキリスト教宗派の教会などで礼拝の時などに唱えられているはずです。
なお、「御国」とは、いわゆる「神の国」にして、正確にいますと「天国」ではなく「神の支配」という意味でしょう。神の支配が正しく隅々まで行き渡っている世界というものだと思います。
正しく善い人が評価され、悪い者は罰せられる世界でしょう。
日本だと「お天道様の下、正々堂々と生きる」、「お天道様の下悪いことは出来ない」なんて言いますねえ。
えっ、そーいうお前自身はどーなんだ、と言われましても・・・。
すいません、あまり自信ないです。
まあ、根が小心者ですから、さして大きな悪に手を染めているということはないと思いますけど。
道に落ちていた50円玉を拾うも、警察に届けることなく財布に入れてしまった、とか。
以下、この「主の祈り」について、田川建三の『イエスという男』の中の「それならお前はどう祈る?」という節に沿って考えてみましょう。
祈りであります。
デューラー『祈る手』
宗教の基本ですねえ。
我々日本人も、神社やお寺で、あるいは路傍のお地蔵さんなんかに手を合わせて祈ったりもしてます。
ユダヤ教から派生したイスラム教なんかだと、一日5回、メッカの方に向かって皆で祈りを捧げていますねえ。
この祈り(礼拝)を行う場所がモスクで、キリスト教会とは違い十字架や聖者の像なんてものは一切ありません。ただ、祈る場所なのであります。
ユダヤ教にあっても、祈りは大変重要なもので、いろいろとやかましい決まりがあったようです。
夕方に行われる祈りを、立って祈るか、寝て(横になって?)祈るかで神学的な大論争があったのだとか。
ついでながら、日本の神社における参拝は、二礼二柏手一礼が基本的ですが、実際は歴史的に様々な変遷があり、神社によっても異なったりもします。出雲大社なんかですと二礼四柏手一礼となります。
こちらは、さすがにこの違いで論争になった、なんてことはないようですが。
さて、イエスは当時のユダヤ教の在り方を批判する立場にいたようでして、それがゆえに、例えばユダヤ教の主流派とも言うべきパリサイ派の人々とよく論争してます。
「売られた喧嘩は買うぜ」というのがイエスの基本スタンスなのであります。
実際、福音書を読むと、よくパリサイ派の人々(※律法学者、ラビ)がイエスによく喧嘩を売ってますねえ。
イエスの説く、それまでにない斬新な教義解釈や、病気癒しで多数の人々から支持を受け人気があったのが、彼らにすれば面白くなかったからなのでしょう。
して、イエスは「祈り」というものをどのようなものとして考えていたのか。どうやって、何を祈ればいいのかと思っていたのか。
まず、イエスが律法学者を非難するという話があります。
あいつら偉そうにふんぞりかえって、これみよがしに見栄を張って
長ったらしい祈りをしてるが
いっそアホウだね
ちなみに、仏教の坊さんも、あの意味の分からん、長ったらしいお経を唱えてますが、そして、なーんもわからん、あっしらは、ありがたく(?)拝聴しているわけですが、ついでに言うなら、なんせ、クソ高いとしか思われないお布施なんかをしてますから、むしろ、あまり短いものだと「手を抜いてんじゃねーのか。知らないと思って、適当にはしょってないか?」なんて思うことだってあるでしょう。
なお、その寺の格式や唱えるお経によって、要求するお布施の金額も変わってくることもあるらしいです。
さて、イエスですが、そんなふーに言うのなら、あんたはどう祈るんだ、と逆に追及されたこともあったのではないかと田川センセは言います。
これに対する答えこそが、今では「主の祈り」とされている、あの(短い)祈りなのだそうです。
して、実はこれ、ユダヤ教において「カディッシュ」と呼ばれている短い祈りで、毎日三回行う祈りの最後の締めくくりとして唱えられるものだそうです。
しかも、イエスは、このカディッシュの祈りを、思いっきり締めてしまい、言葉ももっとずっと簡単なものに変えてしまったといいます。例えば「御父」ではなく「父(アッパー)・とうちゃん」でいいではないか。
そして、この神聖なる祈りに、本来はなかった言葉を付け加えてしまう。
それが「日々の糧を与えて欲しい」という句なのだそうです。
厳粛なる神に対する祈りに、そんな通俗的な内容までも付け加えてしまう。これを聞いていた。まじめなパリサイ派の連中は唖然としたに違いない、なんて田川センセは言います。
しかし、当時のユダヤ社会というのは、ローマ帝国の属州として間接支配を受け、ということは、しっかり税金を取られ、賦役(肉体労働、雑用)を課せられ、統治者としてのヘロデ王から、さらにはユダヤ教支配層からも、それぞれ別個に税金を徴収されていたとされ、いっそもう三重苦の世界であったようです。
ヘロデ王や、祭司といった貴族、更にごく一部の金持ち(大土地所有者)を除いた、ほぼ9割の人々が下層階級、言い換えれば低所得者であったといいますから、まずもって多くの人々は、その日暮らしで、毎日食べるパンだって事欠くことだってあったのかもしれないです。
今日食べるパンがある。当たり前のことに思われるかもしれませんが、そうではない方々だって多数いる。
パレスチナ ガザ地区
そんな社会に生きていたイエスからすれば、「今日食べるパンを確実に与えて欲しい」という願いは切実なものであったように思います。
神の正しい支配が行われるということも、確かにそうあって欲しいと祈るのは当然としても、もっと現実生活に即した、自分達の切実な願いこそを聞いて欲しい、というのは当然のことでしょう。
我々日本人が神社に行って祈るのだって、国家安泰とか経済繁栄、五穀豊穣なんて大層なものではなく、家内安全、無病息災、合格祈願に、恋愛成就といった、ごくごく身近なことでしょう。
例えばの話、祖国のために戦って亡くなった英霊を祀る、東京は靖国神社に行き、「経理のレイコちゃんと、結ばれますように」なんて祈願なんかしたら、いっそ「非国民が!」なんて非難されるかもしれませんが、そもそも、我々が神なら神に対し、祈りを捧げるというのは、むしろそういったものであるように思います。
しかしながら、こういった、つまりは現実に生きている生活者の視点に立った祈り、それも既存のユダヤ教に対する批判としてのものが、後のキリスト教はそこから、そぎ落としてしまっていると田川センセは言います。
確かにその方が普遍的な内容にはなるでしょう。
しかし、その祈りには切実さはありません。
以前、フランスはパリの、クリスマスイブの夜、教会主催の貧しい人々、いっそホームレスの方々に対するクリスマス礼拝と、その後のささやかなクリスマスの食事の提供の新聞記事を読んだことがあります。
ここでも、主の祈りがなされたと思いますが、そこに必死に祈りを捧げる老婦人の写真がありましたが、こういった方々が「日々の糧を与えてください」と祈るのは切実なものでしょう。
日本の年末の貧しい方々への炊き出しとも重なります。
「日々の糧を与えてください」という祈りがものすごく重く感じます。
これがイエスという方の基本的なスタンスなんでしょうねえ。
あんだよ、また、おかずはコロッケかよ
たまには神戸牛のステーキが食いたいなー
なーん言っているよ―な、あっしは、もはや大バカ野郎です。
ついでながら、「もっと稼いできな!」って言われると思います。