『史録 日本国憲法』 天皇制が揺らぐ? まさに、その時、歴史が動いたのであります | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

児島襄の『史録 日本国憲法』の第二章は「占領に揺らぐ天皇制」であります。

 

 

ここでは、まず「天皇制」なるものを押さえておきましょう。入学試験に出るかもしれません。

 

 

 

 

 

 

天皇制とは天皇を中心とした日本の君主制、及び国家制度を言います。ここには近代以前の天皇制、現代の象徴天皇制も含まれるとされます。

 

 

さらには、そもそも「天皇」とはどのようなお方なのか。

 

これまた、なーんも知らん子供に質問されたらどう答えるべきなのか。

 

 

 

そーいうことはお父さんに聞きなさい

 

 

と、お母さんは逃げ道がありますが、お父さんにはありませんから大変です。

 

 

 

古代以来の血統を受け継ぐ君主の称号」であり、7世紀ごろには日本という国の統治・支配者の呼称として「大王(おおきみ、だいおう)」というものが次第に「天皇」に変わったとされます。

 

」という呼称は、それこそ世界各地にありましたし、あります。「大王(だいおう)」ともなりますと、紀元前4世紀に活躍したマケドニアのアレキサンダー大王(通称 正式にはアレクサンドロス3世)なんて方が思い浮かびます。

 

 

王の中の王」、「あまたある王の中にあっても傑出した王」といった意味なのでしょう。

 

 

 

それ以前の日本には「倭国王」なんてものがありました。ヤマト政権が誕生した古墳時代には、この「大王」が使われていたとされます。当時は統一といってもまだ各地に多数の豪族がおり、彼らの長もまた「王」と呼ばれていたと推測できますから、それよりもずっと偉い王と言いたかったのか。

 

 

してこの「大王」が、日本に伝わった道教における宇宙の最高神とされる「天皇大帝」を模し、簡略化し「天皇」としたのではないかという説があります。

 

 

ちなみに『古事記』において最初に登場し、なおかつ宇宙の最高神とされるのは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)であります。天皇(皇室)の祖先神は天照大御神とされておりますが、その元をたどればこの神となります。

 

 

 

 

宇宙最高神 天之御中主神

 

 

 

まさに「天皇大帝」にふさわしい神様でしょう。「天皇」というのは、つまりその末裔ということにもなるのでしょう。

 

 

余談ながら幸福の科学(という宗教)におきましては宇宙最高神は「エルカンターレ=幸福の科学・総裁 大川隆法」とされます。一方に、キリスト教なんかですと宇宙の最高神は言うまでもなく「GOD」であります。

 

 

他にも、多くの宗教でそういった宇宙最高神というものがあるとされます。

 

 

 

オレ様こそが宇宙の最高神にして

何を言う。私こそが

えーい、黙れ。そもそも宇宙最高神は我である

 

 

 

なーんてことになっております。なかなか大変なのであります。

 

 

ついでながら、不肖あっしなんぞも、宇宙最高神の名乗りを上げたっていいように思いますが、誇大妄想疾患にされてソッコーで病院に連れてゆかれるでしょう。

 

 

さて、天皇制を天皇による統治とはいいますが、天皇が実質的に統治、言い換えれば政治を行っていたのは奈良時代ぐらいまででしょう。平安時代ともなりますと藤原氏などの貴族が台頭し、皇室との縁戚関係を結び、摂関政治なんてものが続き、その後は武士が貴族に変わり幕府を作り政治を行い、これが幕末まで続いたのであります。

 

 

明治になりまして王政復古なんて言いますが、天皇を名目上のトップに飾り、実質的には既存の権力者であった徳川幕藩体制を覆した志士達による、言うなれば革命の中心人物が政治中枢を押さえていたというべきでしょう。

 

 

して、形式的なもの(?)とはいえ、その統治が終戦まで続いたのであり、以降はその名も「象徴天皇制」というものになります。

 

 

 

これは日本国憲法第一条に規定された制度であります。

 

 

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく

 

 

 

象徴」とは「シンボル」ということであり、例えば「平和」といった観念的なものを「」といった実在的なもので表すことなどがあります。

 

ちなみに、「ねずみ男は黒猫と同じ不幸、悪運のシンボル」なんて言われて、あっしに石なんかを投げられても困ります。

 

 

 

 

つまり、天皇は、日本という国、そして日本国民のシンボリックに示すイメージ(記号)というものになりますかねえ。

 

 

天皇が他国に外遊(公式訪問)するなんてものは、つまり日本という国、さらには日本国民の代表という形で行われるといっていいのでしょう。これは例えば日本の総理大臣が行うものとはまた意味が異なるように思います。

 

 

いっそ、「格が違う」というべきか。

 

 

 

天皇は最高の外交官」なんて声もあるようですが、多くの国では日本の総理が訪れるより、遥かに大きな歓迎を受けるともされます。親睦、友好関係の絆を強くするということにおいては、最強(!)のようにも思います。

 

 

 

オランダの戦没者記念碑に黙祷をささげる平成天皇・皇后

 

 

 

オランダという国は、江戸時代こそ、ヨーロッパにおける唯一の友好国でしたが、明治以降、そして第二次世界大戦時を経て冷却してしまったとされますが、2000年、平成天皇・皇后が訪問されて以降は、それが少しづつ変わりつあるとされます。

 

 

ちなみに、上記の黙祷にあっては、天皇と皇后は、しばらくそのまま頭をあげず、周囲は厳粛と感動のムードが支配したとされます。

 

 

さて、現在の象徴天皇制についての各種調査に基づきます世論によれば、その支持は約8割で、不支持が約1割、権限強化は1割未満だとか。

 

 

しかし、このような象徴天皇制は言うまでもなく戦後、それも日本国憲法の制定によってでありまして、この制定以前、つまりまだ終戦の日から間もない頃にあっては、言うところの国体、つまりは統治体制としての天皇制が存続できるか否かについて、大きく揺れ動いていたのであります。

 

 

何度も書いておりますが、もし、この国体としての天皇制が変更をされることなかったとしたら、今の日本は大きく変わったものになっていたように思います。