あやしい幸福論 6 科学的に幸福を測ることができるのか? 将来はAIが幸福診断をしてくれる? | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

先回に引き続き、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモサピエンス全史』に沿って考えます。

 

 

今回は「幸福度を測る」であります。

 

もっとも「幸福の科学」なんて言いますと、変な(?)宗教の方に行ってしまうので、幸福というものにおける科学的アプローチとでもしましょうか。

 

 

ハラリは心理学、生物学からのこうした研究があることを紹介しておりますが、ここに精神医学が加えられてもいいと思います。

 

まず、一般的な幸福の定義として「主観的厚生」があげられております。「心が満ち足りている」ということでしょう。

 

それを、どうやって外部から計測するのか、できるのか。

 

 

その方法の一つとして、被験者に調査用紙を配りアンケートを取るというものがあるようです。

 

 

 

 

 

 

・ 今の自分に満足している

・ 人生を送ることには大きな価値がある

・ 将来について楽観的だ

・ 人生はよいものだ

 

 

 

といった質問に対し、どの程度賛同できるかを10段階評価で答えてもらうというもので、これを集計し全般的な水準を算出するのだそうです。

 

 

ちなみに、性格分析とか、運転免許取得の適性検査に、こんなような質問があったように思います。

 

 

その中には、上記の質問内容をネガティブなものに変えたものがあり、〇×式で「満足していない」、「価値がない」、「悲観的だ」、「悪い」なんてものに〇をすると、まずもって「うつ病」的性格とされるように思います。

 

 

しかし、逆にこの質問にすべて×とすると、むしろ、こちらは「躁病」的性格にされるのではないのか?

 

 

 

実は、精神障害の一つに、その名も「多幸症」というものがありまして、気分が著しく高揚し、愉快、陽気、開放的な気分が続き、もうこの手で何でもできるような気がして、活発になり、女性なら派手な服装、化粧をし、次々にアィデアが浮かび、これを人に話したくなり、多弁になり、攻撃的にもなって、突進してゆくのだとか。

 

 

 

何と言いますか、いっそ、アブナイお薬でも使ったかのような。

 

これを称して「空虚な幸福感」なんて言ったりもするようです。

 

 

 

ちなみに、高額な参加料金を払って、このような多幸感を味わうことのできるセミナーもあるようです。

 

 

 

 

 

ちょっと興味を惹かれますが、なんとなく怪しそうな気もします。

 

 

 

信者になってごらんなさい。もう、その日から人生がばら色よ

 

 

 

 

なーんて、それこそ怪しげな新興宗教に勧誘されるような。

 

 

 

さて、このような気分は一般的には、躁病の資質だとされますが、ちょっと気になったのは認知症の初期にも見られるものだとか。

 

さらに気になったのは、認知症ではなくとも、多くの高齢者にもこのような傾向がみられるともされることでしょう。

 

 

高齢者の方の中には、釈迦のように、なんというか悟りの境地に達したような方もいるように思います。アメリカの精神医学者キューブラー・ロスが『死ぬ瞬間』という本を書いて、ベストセラーになりましたが、そこには死を宣告された方が、最初はこれを拒絶しつつも、ついにはこれを受容して穏やかになってゆく姿がありますが、高齢者の方の場合も、思うに、死期が近いことをもってして達観しておられる、というのか。

 

 

 

この歳になったら、もう、怖いものなんかないです

 

 

 

なんて言っておられる方もいました。

 

 

んで、こういう、いうなれば悟りきった(?)じーさま、ばーさまによる「我ら、いかに生きるべきか」、いっそ青臭い「君たちはどう生きるか」なんてものではなく、老い先短い自分達は、いっそ「我ら、いかに死ぬべきか」という巨頭(?)会談がありまして、

 

 

子供や嫁に面倒かけて生きているくらいならねえ、いっそ死んだ方が

そうだね、自動車にはねられて死ねば多額の保険金も降りるだろうし

そりゃ、家族は喜ぶだろうなー。ずっと墓参りもしてくれるだろう

それも、金のない若いあんちゃんの、見栄を張って買ったスポーツカーじゃねえ

多額のローンを抱えて、必死に稼いでいる長距離トラックの運ちゃんも同じよ

どこかの大企業の社長とか、その御曹司の乗った車がいいわねえ

 

 

 

なーんて結論がでたとされます。

 

 

 

 

 

で、日の丸のハチマキなんか締めた、じーさま、ばーさまが「七生報国」、「天皇陛下、万歳!」なんて言いながら、高級ベンツなんかに突っ込んでいかれても困ると思うんですけど。

 

 

 

話がそれました。

 

ハラリによりますと、この幸福度アンケート調査の結果の一つに、年収が多い人の方が、少ない人よりも幸福度が高いという結果が出たそうです。

 

 

まあ、当然のように主思います。「幸福はお金では買えない」とは言いますが、そうは言っても、年収、言い換えれば収入が多い方の方が満足度が高いように思われます。

 

むろんすべての方に当てはまるということではないんでしょうが、一つの目安にはなるでしょう。

 

 

しかし、この収入の多さは一定水準までで、それを超えると、ほとんど意味を持たなくなるのだそうです。

 

 

例えばの話、貧乏人が宝くじで当当選し10億円なんかもらえば、もちろん幸福度はアップするでしょうが、これが金持ちで、それこそ年収が10億円なんて方だったらどうか。「まあ、当たったならもらっておくか」というものになる?

 

 

ちなみに、宗教法人・幸福の科学が設立した政治団体である幸福実現党が、2009年に衆議院選挙に総勢337人の候補者を立て、その全てが落選し、供託金が約11億円が没収となりましたが、自らも立候補し落選した、この教団、そしてこの党の総裁が言うには、「そんなものゴミですよ、ゴミ」という発言がありました。

 

 

噂によれば、この教団の総資産は2000億円だそうですから、そういうことが言えるのか。

 

 

 

あっしも、言ってみたいセリフです。

 

 

 

さて、ハラリによれば、貧乏人が10億円なんかもらって、豪邸を建て、高級車を買い、とびきり旨いものを食っても、それは、ほどなくありふれたものになってしまう、とも。

 

 

人間というものは、何にでも、どんなことにも慣れてしまうものだ」といったのはドストエフスキーですが、まさに、この「慣れ」でしょう。

 

住めば都」なんて言葉もありますが、それこそ都から九州に左遷されてしまった菅原道真の晩年は本当に惨めなものであったのか。「九州ってとこは、都と違って人も温かいし、食うものは旨いし、言うことねーなー」なんて思っていたとか。

 

 

 

 

意外にも、左遷させられた生活に満足していた菅原道真?

 

 

 

 

また、「美人は、一緒に三日もいれば飽きるが、ブスは三日で慣れる」なんてこともいわれますからねえ。

 

 

これに関して言いますと、めちゃくちゃイケメンの男と結ばれた女性にすれば、最初のうちこそ幸せでいっぱいでしょうが、しばらくすると、「うちの人、メチャクチャ女性にモテるから、どこかで浮気なんかしてるんじゃ」なんて気が気ではなくなったりもする?

 

一方、これはとある美女。いっそ絶世の美女とも言われる女性の発言ですが、イケメン男は、自分が女性に人気があることをわかっているから、女性が自分をもなすのを当然だと思っているところがある。これに対し、そうでない男、いっそブ男は、自分がモテないことを十分に自覚しているから、好意を持ってくれた女性をとても大事にしてくれる。だから、自分は、そういう男の方を選ぶ、のだとか。

 

 

これを聞いた時、イケメンには程遠いことを自覚しているあっしは、「ついに、あっしの時代が来たな」と思ったものです。

 

 

 

 

もっとも・・・、実際に、今まで、そういう絶世の美女から好意をもたれたということはありませんでしたけど。

 

 

話が違うじゃねーか、と。