あやしい幸福論 3 偉人、哲学者、小説家の名言、格言から幸福を考える 他人の不幸は蜜の味? | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

あがた森魚の『赤色エレジー』という歌の中に、

 

 

幸子(さちこ)の幸は、どこにある ♪

 

 

というものがあります。

 

 

 

原作は 林 静一のマンガです

 

 

 

きっと、彼女の親は生まれた娘が幸せになって欲しいと、このような名前を付けたのでしょう。子を思う、親の気持ちが伝わってきますねえ。

 

 

そして、本当にそうなればいいんですが。

 

世の中、そんなに甘くはない?

 

 

さて、今回は世界の偉人、哲学者、小説家といった著名人が幸福(不幸)について述べたことについて考えてみたいと思います。

 

 

まずは1世紀の、古代ローマの喜劇作家シルスの『箴言』から。

 

 

己自身を幸福だと考えない者は、幸福ではない

 

 

前にも書きましたが、幸福なんてものは主観的なものです。傍目から見て、いかにも幸福そうに見える方でも、その本人がそう思っていなければ、幸福ではないのでしょう。

 

ちびまる子ちゃん』のお姉ーさんは、妹からすれば美人で羨ましく思われておりますが、このお姉ーさんが言うには「いくら美人だと言われようが、好きな人が振り向いてくれなきゃどーしようもない」なんて言ってます。

 

 

 

なるほど、美人だろうが、イケメンだろうが、それで皆が皆、幸せということではないのでしょう。

 

 

イケメンなんかではない、あっしは、

 

 

ざまーみやがれ

 

 

 

なんて思いますが、かといって幸せな美人や、イケメンもいるはずですし、不幸なブスやブ男だっているはずです。

 

 

そう思うと、むしろ、もっと落ち込みます。

 

 

 

そんな、あっしに『悪魔の辞典』の著者、A・ビアスの言葉が突き刺さります。

 

 

 

 

幸福 ー 他人の不幸を眺めることから生ずる快適な感覚

 

 

 

あなうれし、隣の蔵が売られてゆく」なんていいますし、「他人の不幸は蜜の味」などとも言います。

 

 

人間だれしも、こういう気持ちを少なからず持っているのではないか。

 

 

 

大リーグでMVPになりやがって。天文学的な年俸もらいやがって。おまけに美人の奥さんだと

それが、気を許していたギャンブル狂の通訳に裏切られやがって、いい気味だぜ

 

 

なーんて言っているような方もいますからねえ。

 

 

でも、こういう方って、それで、むしろ自身の人間性の愚劣さを表しているように思います。

そんな偉大な人間になれないという惨めさが、そこに示されている、と。

 

 

こういう方とお友達にはなりたくないです。

 

 

 

次に、ロシアの『イルクーツク物語』なんて戯曲を書いたアルブーゾフという方のものです。

 

 

幸福というのは、一人では決して味わえない

 

 

 

そーなんですよ。

 

自分一人が幸福だと思っていても、周囲の人間が不幸だったら、気まずくて、その喜びを素直に表せないでしょう。

 

 

それを、つい、独り占めしようとすると、周囲から反発だって食らうでしょう。

 

 

 

貧しい田舎の夫婦が、きわめて高額な宝くじに当たっとか。

 

その村でも評判になり、村人が皆で祝ってくれたと言います。

 

しかし、この夫婦、そんな村人にはびた一文も分けるということもなかった。

 

 

次第に村人とも疎遠になんてゆき、ついにその関係は険悪なものになり、いたたまれなくなって都会に出た夫婦。

 

しかし、その都会には知人、友人もなく、夫婦二人の孤独な日々。そして高級アパートで迎える孤独な死。

 

 

この夫婦が得たものと、失ったものは、どちらが大きかったのか。

 

 

これ、確か、イギリスにあった実話だったと思います。

 

 

貧乏人が、日頃持ちつけない大金を得るとロクなことにならない、ということか。

 

まあ、人生が狂うでしょうねえ。

 

 

 

 

年末ジャンボ宝くじの、末等300円が当たったと、満足していないといけないのかも。

 

ささやかな幸せを大事に。

 

 

 

さらに、17世紀はフランスの著述家フォントネルの『幸福論』から。

 

 

幸福とは、そのまま変わらないで欲しいような、そのような状態である

 

 

丸山圭子の『どうぞこのまま』という歌の歌詞に、

 

 

 

どうぞこのまま どうぞ やまないで ♪

 

 

というのがあるんですが、そして、これは「雨がやまないで」という意味で、それなら、ずっと二人いっよにいられるから、ということのようです。

 

 

して、この歌を最初に聴いたあっしは、この「やまないで」を「やめないで」と聴き間違えまして・・・。

 

 

これは、きっと、女が愛する男に、「ずっと、このまま抱きしめていて」という意味の言葉なのだと勝手に解釈し、いっそ邪推し、メチャクチャコーフンしておりました。

 

 

 

 

ロミオとジュリエット

 

 

 

 

大バカ野郎です。

 

丸山圭子に謝れ!