あやしい宗教学 『誰がための宗教か』 笠原一男 人はなぜ神仏にすがるのか? 救われたい? | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

笠原一男センセは歴史学が専門ですが、宗教にも造詣が深い方で、この方の『日本宗教史Ⅰ・Ⅱ』(山川出版社)もお勧めです。

 

今回は『誰がための宗教か』(経済界)という、それこそ宗教(学)入門書的なものです。

 

 

これまでも、何度か宗教なるものについて様々な著者の、様々な本を元に考えてきましたが、いろいろ視点を変えてみるのもいいと思います。

 

 

日本人の多くは無宗教だと言いながらも、オウム真理教、旧・統一教会、そしてエホバの証人、あるいは創価学会、立正佼成会、その他様々な、いわゆる新興宗教が、その信者数を誇っておりまして、それをそのまま鵜呑みにしますと、日本の総人口をはるかに超えるなんて言われております。

 

同じく、無宗教だと言いながら初詣には多くの方が神社仏閣に詣でますし、奈良、京都の神社仏閣を訪れる方々も少なくないと思います。

 

しかし、かといって、いわゆる宗教に深く関わる、という方はそうはいないように思われます。

 

 

 

デューラー 『祈る手』

 

 

 

それでいて、意外にも宗教というものに頼りたいと思っている方も少なくないのではないか。

 

 

苦しい時の神頼み」なんて言いますし、ここぞという時は、誰しも、神仏にすがりたいと思うのではないのか。

誰しもが避けては通れない死の問題もありますしねえ。

 

 

 

どんな宗教を信じるか、信仰を持つか持たないか、それは人それぞれの問題である。

しかし、誰にでも生きることの苦しみに耐えられなくなるときがあるだろうし、いやでも死をむかえなければならないときがくる。

 

そんなときぐらい恥も外聞もなく、なりふり構わず何かにすがってよいのではなかろうか。

 

生きがい、生きる支え、これこそが誰もが宗教に期待するご利益である。

 

 

 

 

なーんて笠原センセは書いております。

 

 

一方、こちらはキリスト教の讃美歌の一つですが、

 

 

 

慈しみ深き友なるイエスは 罪、咎(とが)、憂いを消し去り給う

 

心の嘆きを包まず述べて などかはおろさん 負える重荷を ♪

 

 

 

どーした?元気がないじゃないか

なーんでも言ってごらん

 

なーに悪いようにはしないから

 

 

こんなふーに言われたら、ありがたくて涙がこぼれますねえ。

 

まあ、この「悪いようにはしないから」ってーのは、実は悪い人の言いそうな言葉ですけど。

 

 

 

ふーん、都会に憧れて家出してきたんだ

モデルか、タレントになりたいんだって?

 

おーし、ここは、このおじさんに任せときなさい

なーに、悪いようにはしないから

 

 

 

なーんてねえ。

 

 

さて、この『誰がための宗教か』の第一章は「人はなぜ神仏にすがるのか」であります。

 

 

まずは笠原センセの体験です。アメリカから旧知の学者が日本にやって来て言うには「日本人は、よほど信心深いのだね。京都に行くまでもなく東京にもお寺が、そして神社もたくさんある。イスラム教のモスクまであるじゃないか」と。

 

 

あえて言わせてもらえば、他にもキリスト教会がありますし、新興宗教の施設も少なくありません。

 

 

確かに、神社仏閣はどんな地方、いっそ田舎に行ったって数多くありますし、路傍には稲荷の祠(ほこら)お地蔵様、道祖神なんてものまであります。

 

 

 

夫婦道祖神

 

 

 

また、少なからぬ家には仏壇神棚だってあるでしょう。会社にだって神棚があるところが多いようですし。

 

 

 

これで日本人の多くは無宗教だ、なんて言っても、海外の方には信じてもらえないでしょう。

 

まあ、日本は多神教の国ですからねえ。「唯一の神しか認めません」なんて、キリスト教イスラム教の国とは違います。

 

 

ちなみに、「世界宗教分布図」なんてものを見ますと、日本は「仏教国」ということになっております。なんせ、仏教伝来以来、為政者(天皇、他)は、これを国教としてきましたからねえ。歴史の重みがあります。

 

 

これが国教でなくなったとは明治になってからで、ここから終戦までは神道が国教となります。して、終戦を機に、国教という制度はなくなりました。

 

森喜朗元総理が「日本は神の国」なんて言って物議をもたらしましたが、正確には「神仏の国」ではないかと思います。

 

もともと日本人は、仏を異国の神、それも強力な神として受け入れたようです。まあ、そういう意味からすれば「神の国」でも間違いではないんでしょうが。

 

 

なお、一般的に「神の国」と言いますと、これはイエスの説いたものとされます。しかし、この意味は「神の支配」という意味で、森さんの言う意味とは全く異なります。(※ 「天国」でもありません)

 

 

して、日本人は、いっそ神でも仏でも、御利益があるなら何でもよかった。だから、明治までは神社と寺の境界は曖昧であったようです。神社の境内に寺(※ 神宮寺なんて言います)があったり、僧が神社でお経をあげていたりする所もあったとか。

 

 

こと、修験道なんて、これは神道とも仏教とも言い難いものでした。

 

 

 

さてさて、話を戻しまして、仏教国として言うなら、奈良や京都はまさにそのシンボル的な街でしょう。

 

京都にある寺の数は、なんと千を超えると言います。毎日、一寺ずつ見て回っても3年はかかる!

 

 

古寺巡礼」なんて、よく旅行雑誌に取り上げられているテーマですが、笠原センセに言わせますと、これは「拝観」であって「信仰」ではないとか。

 

 

 

 

 

 

 

まあ、そうなんでしょう。観光目的で行く方も少なくないと思いますし。

 

じゃあ、信仰の方はどうなんだ、と言いますと、これは例えば四国遍路などがそうでしょう。しかし、最近は観光バスやタクシーで回るなんてものもあるそうですから、こうなりますと、その信仰という要素は薄れていることもあるでしょう。

 

 

また、神社仏閣に詣でると言っても、例えば初詣なんかを見てもそうですが、真摯にして敬虔な祈りを捧げているなんて方はあまりいないように思います。

 

薄暗い教会の礼拝堂で、十字架のイエスや聖母マリアの像に、ひたむきな祈りを捧げる、なんてものではないのであります。

 

 

 

何と言うか、我々日本人は宗教のかかわり方が、きわめて軽い(?)、いっそ皮相的なようにも思います。

 

 

むしろ、深く関わるとすれば、戦後生まれの新興宗教の方でしょう。こちらの信者の方々はみな熱心であるように思います。

 

 

 

 

 

 

なぜか仏教とか、キリスト教は人気がありませんねえ。

 

 

いや、これらの既存宗教だって、その気になって関われば、ちゃんと救いの手を伸べてくれるはずです。

人気がないということは、こういった既存宗教の怠慢なのか。

 

こと、仏教なんて葬式に特化してますからねえ。その多くは、いっそ葬祭業者です。

 

 

宗教に期待するのは、御利益もありますが、やはり救いでしょう。

 

 

生きていれば、人間だれしも悩みを抱えるもの。他人に話したっていいと思いますが、多くの方は、それを自分の心のうちに抱え込んで悶々とした日々を送っていたりもする。

 

 

そーいうときに、宗教から誘われると、つい、その甘い(?)言葉に乗ってしまう人だっているでしょう。

 

それこそ「悪いようにはしないから」なんていわれてねえ。

 

 

 

いっそ、楽になっちまうか

 

 

 

宗教には、「支え」という面もあると思います。いっそ、自分ではなーんも考えることをせず、ただもう、その宗教の説くことを信じていればいい、なんてことだってあるでしょう。

 

これは、楽だと思います。

 

 

自分自身で考え、行動すると、そこには自己責任が生じますが、ただもう宗教の言うことをそのまま信じているなら、そこになーんの責任もない。

 

 

しかし、本当にそれでいいんでしょうか。

 

宗教の中には、かなり怪しげなことを説くものも少なくありません。多額のお布施や寄付を求めてくるものもある。

 

あるいは、どう考えても理不尽な教義を、そのまま受け入れることが求められたりもする。

 

 

思うに、やっぱり、まずは自分自身で頑張ってみるのがいいように思います。宗教には「支え」という面があると書きましたが、その頑張ってみる自分を支えてくれるのが宗教ではないかと思います。

 

 

 

 

 

合格祈願にしたって、まず自分が努力するべきでしょう。「神は自らを助ける者を、助ける」なんて言いますが、そういう真摯な努力をしている人がいれば神仏に限らず、周囲の人だって救いの手を差し伸べてくれるように思います。

 

 

また、神仏が付いている、守ってくれている、という自己暗示も効果的だと思います。

 

 

ヤクザがバックに付く、警察がバックに付く、いっそ、国家がバックアップしてくれる、というのと同じではないか、と。

 

 

 

だから、ねずみ男。オレが付いてるから、

お前も義勇軍兵士として、ウクライナに行って戦え

 

 

 

イエス

 

 

 

 

えっ、いや、あの・・・。

 

あっし、最近、こ、腰を痛めてまして。あっ、それと花粉症が始まりまして。

 

 

 

やっぱり、へたれです。