あやしい宗教学 国家神道は日本古来の伝統的神道ではなく、新たに構築された天皇制神道? | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

知の巨人とも称される南方熊楠は、明治政府が祭政一致の神道政策に沿い、日本全国の神社統合整理としての神社合祀令が発せられ、郷里である和歌山一帯の神社の多くが消えることになることに大いに反対していたとされます。

 

当時の内務大臣であった平田東助は、その由来や祭神が明らかではないような小さな神社などはことごとく廃し、1町村に1社を標準せよ、なんて指示したとされます。

 

 

そもそも、日本の神々(八百万の神)は多岐に渡り、その多くは土着の、つまりその地域の人々だけが皆で崇めてきたものであったとされます。今でこそ、各地の神社の祭神は記紀神話に登場するような神々となっておりますが、時には聞いたことのないような名前の神も一緒に祀られていることがあります。

 

 

本来は、その名前も聞いたことのないような神こそが、その神社の祭神であったようです。

 

 

 

子孫繁栄、豊穣祈願の金精様を祀る神社

 

 

 

たとえそれがどんな神であれ、その地にあって人々の信仰を集めていた神々を祀っていた神社を、統廃合性せよ、というのは何とも無茶苦茶な論法であります。いっそ、宗教弾圧といっていいのかもしれない。

 

三重県などでは、県内の約9割の神社が廃されたとか。

 

 

南方のいた和歌山にあっても、彼の祖先のゆかりの神社が廃されると知り、怒り狂ったと言います。

 

柳田国男もまた、これは長い伝統を持った民間信仰(文化)を消滅させてしまうと反対の声を上げていたとされます。

 

 

明治政府のとったこのような政策は、そもそも日本古来の伝統的な宗教である神道(※ 民間信仰も含む)の復古ではなく、まったく新しい、国教としての神道の構築を目指したものであったと言えます。

 

 

それは、同時に神道界にあっては、国家の祭祀として一般の宗教から分離し、国家宗教としての特権的地位の確保に向かったとされます。

 

早い話が、例えば伊勢神宮などは、それまで「お伊勢さん」なんていい、一般民衆の参拝も多かったのですが、この神社はそもそも皇室の祖先神である天照大御神を祀る、日本の神社の頂点に立つものゆえ、一般人の参拝は認めない、なんてことも言われたとされます。

 

 

そんな畏れ多い神社で、下々の人間が商売繁盛だの、無病息災だの、安産だのという個人の祈願をしてはいけない、ということであったようです。

 

 

まあ、今でしたら、伊勢神宮で、年末ジャンボ宝くじ特賞当選祈願なんてものをしても「非国民が!」なんて言われたり、最悪は「不敬罪だ!」なんて言われることもないと思います。考えてみれば自由で平和な時代です。

 

 

 

 

伊勢神宮で宝くじ当選祈願なんかしたら不敬罪!?

 

 

 

 

さて、1889年(明治22年)、大日本国憲法が発布となりますが、その第28条において「信教ノ自由」が定められておりましたが、それは国体的イデオロギーともいうべき国家神道の枠内での自由であったとされます。

 

言うなれば、国家神道という超宗教ともいうべき国教があり、その枠内にあって、仏教をはじめ、天理教金光教、さらには様々な民間信仰も、その下に組み込まれるものとされます。

 

 

ちなみに、明治政府は正式には国家神道を国教とはしておりませんでしたが。

 

 

当初は認められていなかったキリスト教も、西洋列強からの非難もあり、後には容認されるものにはなりますが、例えばそこで説かれている全知全能の神も、国家神道のシンボルともいうべき、それこそ現人神であらせられる天皇の下に位置するものということになります。

 

 

これに絡んで無教会主義で有名な内村鑑三が、教育勅語が発布されその奉読式が、当時内村が勤務していた第一高等中学校で行われた時、最敬礼しなかったとして、これを責められ、結局は辞職に追い込まれた、その名も内村鑑三不敬事件がありました。

 

 

つまるところ、天皇こそはこの日本という国を創始した神々の子孫であり、その統治は神聖不可侵のものにして、国民というか臣民はみな、天皇の言うことを聞かなくてはいけない、という祭政一致の国家体制なのであります。

 

 

まあ、実際は、あくまで天皇を神と祀り上げ、その下にあって、維新に功労のあった長州や薩摩、土佐、水戸といった旧藩の実力者たちが、その表看板(?)をもって、その実質的な統治の正当性を示していたともいえるでしょう。

 

 

 

して、考えてみますに、今でこそ日本では無宗教だと言っている方が大半ですが、明治から終戦にかけては、憲法にあっては信教の自由が示されていたものの、実質的には国民の誰しもがこのこかっ神道の信者に強制入信させられていたとも言えます。

 

 

これは、例えば旧ソ連のような共産主義国家にあっては、国民は、その国家体制イデオロギーである共産思想に異を唱えることなどできなかったのと同じようなものでしょう。

 

 

まあ、国家神道であれ、キリスト教であれ、それこそ共産主義思想であれ、それをもって、国が安定し、他の国の人々とも仲良くし、人々が幸せになるのであれば、それで構わないと思いますが、実際のはその運用というか、それをもって政治を行う方、つまり為政者が暴走(?)してしまうことだってあったわけです。

 

 

 

 

 

例えばの話、ロシアのプーチンさんは、今回の侵攻を「祖国を守るため」なんて言っておりますが、そしてかつて日本も中国大陸やアジアの国々に侵攻した時、おなじように「祖国を守るため」なんて言っていたようですが、はたしてそうだったのか。

 

 

ちなみに、ソ連時代、ナチスドイツがソ連に侵攻し、これに対抗した大祖国戦争なんて呼ばれたものがありましたが、そしてこれは事実、祖国防衛のものでしたが、今回は全く違うでしょう。

 

 

それとも「攻撃は最大の防御」という論法なのか?

 

 

 

日本における戦争にあって、例えば玉砕命令なんかが出されて、兵士は亡くなる時には「天皇陛下万歳!」と唱えろ、と言われていたようですが、して、これこそが国家神道の説いていたものというべきだと思いますが、実際には多くの兵士が「おっ母さん!」と叫んで死んでいった、という話が印象的です。

 

 

 

 

 

 

日本人は、みな自分から進んで、この国家神道の信者になっていたわけでもなかった?

 

 

 

 

 

出征兵士と靖国神社

 

 

 

 

「天皇陛下万歳!」ではなく、「おっ母さん!」なんて叫んで死んでゆくのは、へたれであり、キリスト教でいえば、後に殉教者とされ聖人となることもできないのかもしれない。

 

もしかしたら、靖国神社英霊として祀ってもらえない?