あやしい宗教学 国教となっていった神道ならぬ、国家神道  信者にならないと非国民となります  | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

仏教国日本が、いきなり神道の国、神の国ということでスタートした明治時代、明治政府はキリスト教もまた排除します。それまで細々と長崎の地で、かろうじて息を繋いでいたキリシタンも流刑にされたとか。毛唐の邪教、ということだったのでしょう。

 

 

後に、欧米各国からの非難もあって、明治政府は致し方なくこれを容認する方向に向かいますが、それは先の話です。

 

 

とにかくも近代日本のスタートということで、新しい日本という国を作らねばならないということから、言うなれば国民の意思が一つの方向に定まり、建国の理念ともいうべき国家信条、国体観念がの普及を推し進めることになるのであります。

 

 

 

ん-?何だか知らんうちに、徳川の殿様が表舞台から去り、

天子様、いや天皇様が今度は日本の国を治めるんだと

 

 

 

律令制度に沿って復活させた宗教官庁ともいうべき神祇官がまず最初に行ったのが、全国の神社の社格の制定であります。

 

 

大きくは、官幣社国弊社と分けられ、官幣というのは国、神祇官の直轄の神社で、国弊というのは地方官(※かつては国司)が管轄するもので、いずれも「大、中、小」がありました。

 

 

また、官幣社というのは、きわめて古くからある有名神社、さらには皇室と関係のある神社で、国弊社はその地域の有力神社(※ 「一宮」以下、いろいろありました)であります。

 

他に、府県社、郷社、村社、さらには無各社なんてものもありました。

 

 

なお、この社格は終戦と同時に廃止されておりますが、今でもこの呼称を用いることもあります。

 

「当神社は、元は官幣中社でして」なんて宮司が自慢げに言うこともあったようです。

 

 

 

 

 

 

そもそも、各地の神社に上下関係、ヒエラルキー(階級)なんてものはなかったのでありまして、むしろ、例えば八幡社であれば、大分は宇佐八幡宮総本社であり、その下に位置づけられることはあったにせよ、それとは別に国家がその上下関係を決めたわけです。

 

また、檀家制度に代わるものとして氏子制度を新たに整備し、葬儀も神式のもの、つまり神葬祭を奨励しましたが、なんせ一般民衆は旧来の葬儀慣習は仏式のもので馴染んでおりましたので、これはすぐに取りやめとなります。

 

 

ついでながら、氏子制度に関して言えば伝統的な地域社会ですと、その地域の住民はみなその地にある神社の氏子になっており、祭りなどもその氏子が中心になって行っておりました。しかし、新住民が大半を占める大都市部には、そういった氏子組織を新たに作るというのも大変なことであったらしく、こちらも中途で取りやめとなってしまいます。

 

 

まあねえ、いきなり日本人はみな、その地にある神社の氏子となり、その統括者である天皇陛下を崇めなくてはいけない、なんて言われてもねえ。お稲荷さんを拝んでいたのに、そのお稲荷さんの神様の、さらに上にいる天皇陛下を拝みなさいと言われても無理があったのではないかと思います。

 

ただし、国民の教化はまた別の方法が考え出されます。例えば教育勅語なんかがそうですねえ。

 

 

さて、明治の初めはまだ内戦状態が続いており、この勝利祈願のための軍神祭が行われます。そしてその戦没者(※ 当然のことながら「官軍」の兵士です)の慰霊のために京都に招魂社が新設されます。この招魂社自体は、元々は長州藩にあって、その戦死者を慰霊するものでしたが、それを取り入れたのであります。

 

 

 

京都招魂社 現在は京都霊山護国神社

 

 

 

なお、この流れの中で東京招魂社が作られ、これが後に靖国神社となっております。

 

 

それまで、様々な偉人を祭神として祀る神社は、菅原道真の天満宮をはじめ、徳川家康を祀った東照宮、さらには各藩の領主を祭神とした神社が、こと明治になって幾つか作られましたが、戦死者という不特定多数を英霊(神)として祀るというのは、この招魂社が初めてのものでしょう。

 

死者の霊を慰撫するというのは、どちらかと言えば仏教が関わっていたのですが、ここにあっては神道がこれを行うことにしたのであります。神道という歴史からすれば、これは画期的なものであったともいえます。

 

むしろ神道では、死は黒不浄といって、穢れたものとして避ける傾向にありましたからねえ。

 

 

 

また、特筆すべきこととして、明治天皇が京都の御所から、新たに都と定めた東京に移りますが、その途上、伊勢神宮に参拝いたしました。

 

 

それが何なんだい?伊勢神宮は皇室の祖先神である天照大御神を祀っているのだから当然だろう、なんて言う方もいると思いますが、実は、天皇が直々にこの伊勢神宮に参拝したというのは、古代の持統天皇以来のことなのであります。

 

 

これをもって、ある意味、日本全国の神社に祀られている祭神は、全て伊勢神宮に祀られているこの天照大御神の支配の下に就くことになったなったともいえるでしょう。

 

国家、そして天皇が、日本全国の神社の祭神を管轄する、ということでもあります。

 

 

言うなれば、それまで各地の神社の祭神は、その地域の住民から祀られて、ある意味、自由気ままに(!)にやっていたわけですが、いきなり国家公務員にされたようなものでしょう。

 

また、一般民衆も、安易な(?)家内安全だの、無病息災だの、商売繁盛なんてことを神社で祈願できなくなる?

 

 

実際、伊勢神宮は皇室と深いかかわりのある神社ということで、当初、一般民衆の参拝が禁じられたなんてこともあったようですが、さすが、それまで「お伊勢さん」なんて一般民衆の信仰を集めていただけに、これはすぐに廃されたようです。