あやしい宗教学 国家神道とは何か? 1.作られた日本固有の宗教という神話 その純粋性を疑う | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

国家神道なんて言っても、まず、多くの方は「なんじゃそりゃ?」でしょう。国を挙げて、日本人はみな「神道の信者なのです」なーんて言っていたのは終戦までですからねえ。

 

 

もっとも、「国家神道」なる言葉も、実はこの時に作られたとも言えます。それまではただ漠然と神道が国民的宗教であるとされていただけで、例えば入信の儀式なんてものもなかったわけです。ただし、日本人ならもう生まれてすぐに自動的に神道の信者にされていたのであります。

 

 

ただ、日本人がそういう自覚を明確に持っていたかというとそういうわけでもないようです。

 

 

この国家神道に絡めて「国体」という概念があります。「国民体育大会」ではありません。国の在り方、国家の根本体制のことを言います。「国家体制」でもいいのかもしれませんが、これだと例えば中国や北朝鮮などの社会主義国家、欧米日本などの資本主義国家、あるいは自由主義国家という意味のものとなります。

 

ついでながら、今のロシアを見ていますと、なんとなくかつてのソ連の国家体制に逆戻りしているかのような印象を受けます。プーチンさんが、あの悪名高きスターリンとダブって見えます。

 

 

この「国体」はあくまで、日本独自のもので、いうなれば天皇(※ 「国王」ではありません)を頂点に据えた独特の君主国家ということになりますかねえ。「王国」であれば、これはいつの時代、どこにでもありましたが、日本を王国とは言いません。「天皇国」というのも変なものです。

 

 

 

国体思想と三島由紀夫

 

 

 

 

まあ、あえて言えば、やはり「天皇」は「国王」でしょう。対外的にも、様々な国の国王と交流もしてますし。

 

 

なお、明治憲法では天皇は、それこそ国王とされる方々と同じ権力(大権)を有しておりましたが、新しい日本国憲法では「国民の象徴」という、なんとも曖昧な位置づけとなっております。

 

君臨すれども統治せず」という、イギリスの政治体制と似ているようにも思いますが、天皇が「君臨」している、というわけでもありません。

 

 

さてさて、そんな日本の国体なるものがどのようにして作られたのか。

 

そして、この日本固有の国体を支えていた国家神道という宗教(※ 宗教ではないという考え方もあります)はどのようにして構築されたのか。

 

テキストは、宗教学者の村上重良『国家神道と民衆宗教』(吉川弘文館)と、同じく宗教学者の島薗進の『国家神道と日本人』を基本に考えてみたいと思います。

 

 

 

 

 

ちなみに、宗教であるなら、それを信じることによって何らかの救いはあるのか、御利益はあるのか、と言いますと・・・。

 

 

 

 

はて?

 

 

んじゃ何かい、救いはない、御利益はない、なんてもなー、おまい

クリープを入れないコーヒー(※ 古い!)のようなもんじゃねーか

 

 

 

なーんて言われましてもねえ。

 

 

あえて言えば、そういうものが何もなかったからこそ(?)終戦と同時に、なくなってしまったといえるかもしれないです。

 

 

仮に、そういうものがあったら、なくなることはなかったのかもしれません。

 

ちなみに、「国家」が付かないただの「神道」のほうだと、こちらは「救い」はともかく「御利益」はあるように思います。

 

 

 

さて、その成立の幕開けは幕末の日本に始まります。

 

 

旧来の武家統治体制国家そのものが行き詰まり、様々な問題を抱えている中、欧米列強の強硬な圧力を受け、もはや井の中の蛙でいることはできなくなっていたのであります。おりしも、あの強大国であった中国(清)は、その圧力に屈しておりましたから、日本もうかうかとしていたら、それこそ植民地にされかねない、なんて危機感もあったように思います。

 

時代は、世界はグローバル化しており、日本だけがその中で、外で何があっても我関せずと、太平の眠りについてはいられなくなったのであります。なんせ、もっと泰然と構えていた眠れる獅子・中国(清)が叩き起こされ(!)てましたからねえ。

 

 

それまで、日本は幕藩体制の下で仏教こそが事実上の国教であり、神道はといいますと、これは準国教という位置づけにあったと村上センセは言います。

 

まあ、仏教と神道は混然一体化の状態にあり、仲良くというか、相互に役割分担をしていたように思います。

 

 

しかし、江戸幕府は檀家制度などをもって、特に仏教を重視、重用しておりましたから、それに胡坐をかいてということもあったようで、あえて言えば堕落していたともされます。

 

まあ、封建的支配にあって、仏教を巧みに利用してきたともいえるわけですが、幕府をはじめ、諸藩の財政が苦しくなりますと、一転して、その保護を打ち切るようにもなってゆきます。

 

 

一方、水戸、津和野、薩摩と言った藩におきましては復古主義の台頭もあり、仏教の見直しがなされ寺院整理も行われます。

 

 

ちなみに、江戸幕府が仏教を重んじたがゆえに、その初期には全国にて数多くの寺院が創建されたとされます。なんせ、日本人はみな仏教徒にして、いずれかの宗派に属さねばならないとか、仏式で葬儀を行わなくてはいけない(わけでもなかったようですが、基本的には仏式が主流となります)ともなりますと、これは、もう、それこそ村単位で寺も必要になったでしょうし、宗派ごとの寺院も作られたはずです。

 

 

 

さて、こうなりますと、今まで冷や飯を食わされていた(?)神道が、がぜん勢いを付けます。

 

 

まあ、一般民衆の、堕落した仏教(※ 全てが全てというわけではないようですが、酒を飲む、遊郭に行く、高利で金を貸す、クソ高い戒名代を取る、なんてこともあったとされます)に対する反発もあったとされます。

 

なんせ、国家の保護がある上に、末端行政機関としての役割も引き受け、苦労して托鉢なんかしなくても、葬儀や法事で金は黙っていても入ってきますからねえ。これでは、真摯に研鑽を行うなんて気も失せるのか。

 

 

キリスト教も、国家の保護を受けてゆくうちに、やたらと金が集まるは(※ 寄進が多かったとか)、権力は持つは(※ 国王と肩を並べる、どころか、その上になってしまうことも)で、相当堕落していったようですが、宗教も金や権力が絡むとダメになるようですねえ。

 

 

 

今まで、でけー顔しやがって!

 

 

坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」なんて言いますが、神道界だけではなく、一般民衆までから憎まれたらどーしようもありません。

 

なんせ、ちゃんとした供養、法事をしない地獄に落ちる、先祖が祟る、なんて脅かして金をふんだくっていたこともあったようですから。

 

 

この流れは、後に廃仏毀釈という過激な運動に繋がってゆきます。これによって、多くの経典が焼かれ、仏像や寺院が壊されたこともあったと言います。袈裟が憎いどころの話ではなかった、というべきか。

 

 

さてさて、時代の変わり目という時には、突出した人物がよく出るようでして、活発化した国学(※ それまでの、中国からの儒学に対抗)の流れから、平田篤胤という方が登場します。

 

それ以前に「古き日本」に、日本固有の精神を見ようとした本居宣長の教えを受け、「復古神道」を唱えます。

 

そもそも日本は中国から仏教、儒教、道教といったものを学んできたが、本質的には、そういったものの以前から遵守なる日本の思想があったはずだと。そして、それまであまり顧みられることのなかった神道こそにそれがある、というのであります。

 

 

本居宣長は、これまた、ほとんど顧みられることのなかった、いっそホコリをかぶっていた『古事記』、『日本書紀』という、記紀神話と今は言いますが、当時は、純然たる日本の歴史書に光を当てます。

 

 

そこにある精神に基づき、新たに、純然たる日本を作り出そう、というのであります。

 

 

 

あえて言いますと、神社(建築)というものは、仏教が伝来し、多くの寺院が建てられる中、それに影響されて作られたとされます。もともと、神社には例えば、拝殿、本殿(神殿)などはなく、あっても鳥居ぐらいで、必要に応じて祭祀を行っていたとされます。例えば、日本の最古の神社とされる奈良の大神(おおみわ)神社には本殿はありませんし、拝殿も後から作られたものです。

 

また、その内容も仏教の影響を受け、神なのか仏なのかわからないような信仰、例えば今日でいう修験道なども生まれたわけですが、ここにきて、「いや、いや、日本古来、固有の神道なるものがあったのだよ」なんて言われましてもねえ。

 

 

実を言いますと、キリスト教も、多くの土着宗教をそのうちに吸収して、多彩な要素を持ったものになっております。例えば聖母マリア信仰なども、これは、それ以前にあった女神(地母神)信仰を土台としたものだとされます。

 

 

 

聖母マリア様は、女神です

 

 

 

神道もまた、純然たるものを抜き出す、というのは考えにくいのであります。

 

 

例えば、『古事記』にあって最初に登場する神様を天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)と言いますが、この神様は後に、北斗・北極星信仰と習合しておりますが、どう考えても、これは中国におけ天空神に通じているように思います。

 

 

 

 

描かれたその神像の身につけている衣服からして、これは中国のものだと思われます。

 

 

また、例えば今では日本固有の神様だとされる稲荷も、もともとは大陸からの帰化人である秦氏が祀っていた神(氏神)であったとされますし、八幡神(※ 日本で一番多い神社が、この八幡社)もまた、元々は外来の神ではなかったかという説があります。

 

 

 

ゆえに、日本固有の宗教である「神道」の再発見、なんて言ってますが、そうではなく、実際は新たに「日本固有の宗教である神道」なるものを構築しようとした、と言った方が妥当ではなかったかと思います。

 

 

それこそ「歴史は書かれる」のではなく「歴史は作られる」というべきではないのか。

 

 

して、その先に、国家神道があるのであります。