あやしい宗教学 国家神道を考える 明治初頭から終戦までは神道が国民的宗教だった? | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

何度となく書いてきておりますが、我々日本人の大半は無宗教だと言われております。しかし、例えば「世界の宗教分布図」なんてものを見ますに、日本は仏教国ということになっております。

 

 

 

 

 

実際、仏教が日本に伝わって以来、幕末までは原則として日本の国教は仏教でした。

 

 

歴史の教科書を紐解けば、聖徳太子が仏教を重んじたとか、聖武天皇東大寺の大仏を奈良を、全国には国分寺や国分尼寺を建てたとあります。

奈良時代にあっては国家的に仏教を重んじ、南都六宗なんて宗派も生まれております。

 

 

平安時代ともなると最澄空海が、当時の中国から最新の仏教知識を日本にもたらしておりますし、鎌倉時代ともなりますと栄西、道元、日蓮、法然、親鸞という、そうそうたるメンバーによって日本独自ともいえる仏教文化が花開いております。

 

 

ただし、このような仏教が一般民衆に広く定着するようになったのは江戸時代初期の頃だとされます。

 

 

一方に、日本固有の宗教ともいうべき神道はといいますと、確かに日本独自の神々、いわゆる八百万の神々に対する信仰もありましたが、言うなれば漠然としたものでして、こと、仏教伝来以来は、「神仏」という言葉もありますように、混然一体化ものとして考えられておりまして、

 

 

ご利益があるんだったら、神でも仏でもいいや

 

 

 

というのが一般民衆の捉え方であったようです。

 

 

また、仏教と言ってもその難解な教義は、ごく一握りのエリート層、また、国家に管理されており、一般庶民はそういったものとはほぼ無縁で、仏教における様々な仏、例えば観世音菩薩地蔵菩薩、さらにはインドの古い神々であった大黒天、弁財天といった、神仏こそが、それこそご利益を叶えてくれる、ということで信仰されていたとされます。

 

ここにあっては、八百万の神々と、こういった仏や、その守護神もまた同格のものであったように思われます。

 

 

他にも、大きくは神道という区分に入りますが、「田の神」、「山の神」、「水神」、「火の神」といった、民間信仰(※ 民俗神道なんていうこともあります)もまた身近な宗教であったようです。

 

 

さて、仏教やさらには道教など、外来の宗教に対しては寛容な日本でしたが、キリスト教に対しても当初こそ、同じように受容しようとする動きもありましたが、島原の乱を契機に、その説く教えが日本の精神風土に合わないということで、江戸幕府はこれを禁じ、さらには弾圧します。

 

 

 

踏み絵

 

 

そのために、宗門人別改め、檀家制度(寺請制度)を作り出し、日本人は誰しもが幕府公認の仏教の各宗派いずれかに属することが求められました。

 

して、これを機に仏教が葬儀に深く関わるようになり、現代でも葬儀と言えば仏式が主流でしょう。

 

 

然るに、この頃に各仏教宗派は葬儀の在り方を体系化しておりまして、戒名や石墓を作るようなことも定着したともされますし、追善供養などと言うものも生まれたとされます。

 

意外なようですが、このような、現代の日本人が当たり前だとしているような葬儀慣習の歴史は、それほど古くからあったものというわけではないのであります。

 

 

また、祖先信仰などというものも、基本的に仏教は、人は死ねば極楽に行く(※ 中には地獄行という方も)と説いておりますから、まったく別個のもので、むしろ、これは仏教が伝わる以前からあった日本人固有の死生観だとされます。

 

民俗学の祖、柳田国男などは、その実父(※ 彼は養子で柳田家に入る)が、神主であったということから、日本人固有の精神においては仏教はそれほど大きな位置を占めてはいなかった、などとしております。

 

 

確かに、先にも書きましたように、多くの一般的な日本人は仏教の説く難解な教義とはまず無縁で、仏を、それこそ「異国の神(蕃神なんていいます)」、それも日本の神よりも、もしかしたらずっと強力な神として捉えていたようにも思われますからねえ。

 

 

さて、そんな日本人は、明治を機に、それまでの、それこそ「形式的な」仏教徒から、いきなり神道の信者になった、というか、されます。

 

明治維新」なんて言いますが、同時に「宗教維新」でもあったのであります。

 

後に、この神道の在り方を「国家神道」と呼ぶようになります。言い換えるなら「天皇制神道」ということになりますかねえ。

 

 

 

ちなみに、「神道」という言葉から、我々がイメージするものと言えば、それこそ神社での参拝でしょう。

 

これを便宜的には「神社神道」なんて言ったりもします。して、この神社も様々な、村の鎮守社、お宮、といった我々に馴染みの深いものから、英霊が祀られている東京は靖国神社まであります。

 

 

 

 

 

 

さらに、天理教や大本教、金光教といった、独自の神を祀る、いわゆる新興宗教もありまして、これは「教派神道」と呼ばれます。

 

最後に「民間(民俗)神道」というものがあります。道祖神や、先にも上げました田や山の神、水神といったもので、特に神社に祀られているというわけでもありません。

 

 

 

道祖神

 

 

明治を機に、日本人が信者になったのは、最初の国家神道であります。

 

以下、次回からは、この国家神道なるものを考えてみたいと思います。

 

 

最初にも書きましたが、終戦までは日本人の誰しもがこの信者だったのであり、「無宗教」なんてことはありえなかったのであります。

 

その時代に、それこそ「自分は無宗教だ」なんて言おうものなら、

 

 

 

 

 

 

となっていたように思います。

 

 

ありがたいことに、現在では「信仰の自由」を憲法が保障してくれております。

 

無宗教で、何がいけないんだ」と開き直ることもできます。

 

 

 

まあ、中には、

 

 

 

 

 

そんなこと言っていると地獄に落ちますよ

 

 

なーんて脅かす方もいますが。